平成21年度については、平安時代後期における大規模な瓦生産地のうち、とくに尾張地域の八事窯について、その供給先のひとつとされる相模地域(鎌倉永福寺・三浦満願寺・伊勢原市石田遺跡群など)の資料調査をおこなった。その結果、これらの胎土・焼成が尾張八事窯の瓦に非常に近似しており、尾張産の可能性がきわめて高いことを確認するとともに、鎌倉における永福寺系瓦の編年作業やその他相模地域の尾張産瓦の位置付けについて検討をおこなった。 また、吉備地域や東海一円、さらに和泉地域の古代~中世にかけての寺院跡や古瓦の調査をおこなった。そのうち、とくに和泉地域においては、梶原2010「古代寺院と行基集団-和泉地域における奈良時代寺院の動向と「行基四十九院」-」(『名古屋大学文学部研究論集』167)において、和泉地域における奈良時代の寺院の修造と行基四十九院の間に関連性が薄いことを述べるとともに、逆に平安後期に和泉地域において、瓦をもちいて造営修造がおこなわれた寺院の多くが、行基関連寺院であることから、この時期に行基の顕彰の一環として、大規模な造寺活動がおこなわれた可能性を示唆したが、これは当該期である中世前半の造瓦組織のあり方にも大きくかかわる内容である。 さらに、梶原2010『国分寺瓦の研究-考古学からみた律令期生産組織の地方的展開-』(名古屋大学出版会)においても、尾張や讃岐を例に、平安後期の造瓦体制の変革について触れた。
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