本研究は、隋唐時代の制度や文化が成立する過程において、中国の周辺諸民族が果たした役割の重要性に着目し、北朝の諸民族が中国文化を受容しつつ新たな文化を生成していく過程を、歴史考古学の手法によって明らかにしようとするものである。前年度までに、北魏を建国した拓跋鮮卑の文化を考古学的に究明するため、北魏前期の都城と墓制について発掘データの集成と分析を完了し、その成果を学術雑誌に公表した。これをうけて本年度は、鮮卑の漢化という現象を、さらに異なる視点から分析するため、北魏前期の仏教寺院とそこから出土した瓦や塑像について分析し、その成果を学術論文としてまとめた(「北魏平城時代の仏教寺院と塑像」『佛教藝術』316、2011年)。この論考が対象とした5世紀後葉の仏教寺院は、発掘により構造が明らかにされた寺院として中国では最古段階のものであり、建築学・美術史学など他分野の研究進展にも寄与するものと考える。また、北魏の孝文帝が遷都した洛陽城についてまとめた研究論文を発表した(「魏の洛陽城建設と文字瓦」『待兼山考古学論集』II、2010年)。これは、漢魏洛陽城から出土した刻印瓦について文字内容と製作技法からその年代を明らかにし、その生産体制について考察するとともに、漢魏洛陽城の構造的変遷についての見解を述べたものである。そのほか、本研究課題では、洛陽城北郊の北魏陵墓群および〓城西北郊の東魏・北斉陵墓群など、北朝陵墓についての資料集成と調査を実施してきた。その成果を学術論文等で公開するため、準備を進めている。
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