平成21年度に実施したフィールド調査で得られた成果は、モーパウmopauと呼ばれる蛇毒治療の専門家の治療実践の検討から得られたものである。第一に、モーパウの治療範囲は「毒」との関連で捉え、毒そのものは目に見えないものでありながらも、あたかも実体があるものとして治療が行われるという点で注目できる。動物毒のほかにも、ある種の病は食物やその他のものに含まれた一種の「毒phit」が原因と考えられており、その治療過程も動物毒のものと共通する。だが「毒」という概念については注意が必要である。動物咬傷では物質的な「毒」の体内への侵入が想定できるが、モーパウの治療する他の病では「毒」は民俗的観念に過ぎず、近代医療の視座からは必ずしも物質的な実体を持つものではない。非実体的な「毒」を「実体」として取り扱うために、いわば不可視なものを可視化する装置としてモーパウの治療を位置づけられる。 ほか、モーパウのもつ病因論と他の伝統医療、特に19世紀末以降に制度化された正統的なタイ古医学の病因論との相違は「伝統医療」の論理の複数性を示唆するものであるし、さらに、モーパウほか伝統的な医療師たちが呪文や薬草を獲得するやり方には、師匠-弟子関係のなかでの教授のほか、互いの知識を「交換」する方法も見られ、伝統的な治療知識は断片的でありながらも、その価値には普遍性が認められていることがうかがえた。
|