研究概要 |
本年度は,前年度に引き続き,憲法18条の解釈論を精緻化する作業に従事した((1))。また並行して,「裁判員制度」を国民の人格を陶冶する制度として,憲法18条が禁止する「意に反する苦役」には該当しないと説く学説に対する批判的検討を行った((2))。 (1)については,以下のような結論に達した。通説のように,憲法18条がいう「意に反する苦役」を単に「強制労働」と解することは,「意に反する」労役一般ではなく,あえて「苦役」と規定する同条の語義にそぐわない。許される「意に反する苦役」として,同条が「犯罪に因る処罰の場合」を挙げていることからすれば,同条が原則禁止する「意に反する苦役」とは,「犯罪に因る処罰」に準じる苦痛を伴う「強制労働」に限られると解するべきである。 以上の解釈論は,実定国際法からも裏付けられる。国際人権B規約8条3項は,「強制労働」を原則禁止するが,「軍事的役務」の強制を許容している。通説は憲法18条上「徴兵制」は禁止されていると解するが,「強制労働」を禁止する同規約8条3項が「軍事的役務」を除外していることと整合する解釈とはいえない。憲法18条は,同規約8条3項が禁止する「強制労働」より狭義の「強制労働」を禁止する規定と解するのが妥当である。 (1)の検討を踏まえて(2)について考察したところ,以下のような結論に達した。「裁判員制度」を国民の「公民的徳性の涵養」のための制度であるから,「意に反する苦役」には該当しないと説く一部学説は,司法制度改革審議会の最終意見書に討議民主主義的思考や,共和主義的思考を読み込むことで成立している。しかし,同意見書に「公民的徳性の涵養」という濃厚な意図を読み取ることは困難であるうえに,「裁判という公共的討議への参加こそが真の自由」というこの学説の理解が現行憲法の前提にするリベラリズムと調和するとは考え難い。むしろ,憲法18条は,「公民的徳性の涵養」を企てる統治者に対して,これを抑制する機能を果たす規定として解釈するのが自然である。
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