2008年度は、主にJames Goldschmidt" Der Prozess als Rechtslage" およびNiklas Luhmann" Legitimation durch Verfahren" の読解・分析・および日本民事訴訟法学における既判力論、とりわけ新堂幸司教授の争点効理論、手続事実群理論の分析を行った。 その結果、James GolsdschmidtはOskar Bulowの訴訟法律関係説と自説との対比においても、自説を経験的観察観点に基づいた理論と定位しており、また自由法運動との距離についても意識的であったことが、一定程度明らかになった。そして、現在の私の仮説に従えば、Goldschmidtの経験的観察視点を兼子一博士を経由しつつ自説に取り入れた新堂幸司教授の判決効理論には、兼子博士と類似の、記述理論から規範理論への跳躍の契機が含まれており、それが新堂理論の理論的特徴であると同時に、問題点にもなりうるという分析結果を得た。 また、判決効理論に関して言えば、手続において既判力が生成されるというGoldschmidt的な判決効の理解と、既判力の範囲が現実の手続の進行如何によって修正されるという新堂説との親近性、および、特に動態的な規範理論として見た場合の新堂説の特徴と問題点について分析を行った。その結果、経験的観察視点が定位すると思われる個別事件すなわちミクロのレベルでは、その経験的観察視点によって得られた知見に基づいて構築された「動態的」手続規範が、実際に動態性を獲得するのは不可能ではないかとの仮説に至った。これは、筆者がすでに当事者確定理論において得た帰結と同一である。したがって、この仮説は、およそ手続規範が一般的に動態性を獲得することの不可能性にまで展開される可能性がある。この点は、2009年度の研究において、可能な限り探究したい。
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