研究初年度となった2008年度は、戦前の政党内閣期の発端となる第二次護憲運動と、それと同時に施行された第15回衆議院議員総選挙を中心に、1924(大正13)年の動きを綿密に調査し、政権交代と行政の安定性の観点から研究を進めた。当該選挙は、同年1月に誕生した清浦奎吾内閣への対応をめぐって、最大政党である政友会が分裂し(政友会、政友本党)、政友本党が清浦内閣の与党的地位にたち、政友会と憲政会、革新倶楽部が反清浦内閣、憲政擁護を掲げていわゆる護憲三派の連合を組んで臨んだものである。 調査分析にあたっては、こののち、さらなる政界再編が進み、革新倶楽部が政友会に合流、政友本党の一部が政友会に復帰することで政友会がふたたび勢力を盛り返す一方で、政友本党と憲政会が合同して民政党を結成して、これまでの自由党・改進党という明治以来の二大政党の流れとは異なる、より政策や属性に依拠した二大西洋性が誕生したことに着目し、とりわけ、地方政治出身者と中央官僚出身者という分析枠組を設定することで、中央における政界再編と地方政治における対応に焦点をあてて研究を進めた。この成果は「政党再編期における衆議院議員総選挙-第15回総選挙と二大政党の形成-」と題して、日本選挙学会で報告した。 もうひとつ、この「中央官僚と地方政治構造」という視点をより明確に切り出していくために、わが国におけるキャリア官僚制度がどのように形成され、展開してきたかという、より根源的な研究に着手した。第一のケースとしてあつかった長野県の事例は、「近代日本官僚制における郷党の形成と展開」(『長野県近代民衆史の諸問題』所収)として公刊し、全国的なグランドストーリーの部分については「明治日本の官僚リクルートメント」(『法学研究』82巻2号)にまとめることができた。 09年度以降も、この二つの流れで研究を進め、3年後の成果アウトプットに繋げていきたい。
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