1956年に発生したスエズ動乱の際に、なぜイギリス政府が対エジプト攻撃を行ったかを研究した。一般的にスエズ戦争は、戦後の度重なる植民地地域での影響力後退に耐えきれなくなったイギリスが巻き返しを試み、惨めな失敗に終わったと考えられてきた。しかし本研究は、イギリス政府の動機は、直接的にはフランスとイスラエル二国がイギリス抜きで対エジプト攻撃を敢行することを防ぐことにあったことを議論した。二国がイギリスの参加なしに戦争を行えばイギリスが中東の治安維持能力がないことを明らかにしてしまうからである。この事態が発生すれば、アラブの産油国が油田の国有化を行う危険があった。 それに加え本研究は、イギリスが中東において対ソ脅威認識を抱き続けていたことを指摘し、そのことがイギリスのスエズ危機期間中の政策、とりわけスエズ戦争の際の政策決定に大きな影響を与えたことを議論した。先行研究は、この時期のイギリス政策が、エジプト勢力の封じ込めを目的としていたことを指摘するが、それだけではない。1955年のエジプトとチェコスロヴァキア軍備協定は、西側諸国が中東諸国への軍備供給を独占していたのを破壊してしまった。この結果、今までイギリスが保持してきた中東諸国への政治的統制をソ連が奪いつつあったのである。スエズ危機の際、イギリスが中東で治安維持機能を果たせないことが明白になれば、ソ連が代わりにアラブ諸国で政治的影響力を伸張させ、これらの中立主義路線選択を促してしまうことが恐れられていたのである。
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