本年度は昨年度から研究を進めている為替トレーダーとその他の経済主体間に金融政策ショックの構造に関する信念の異質性(heterogeneous belief)が存在する動学的一般均衡(DSGE)モデルの解の導出に取り組んだ。誤った信念が学習効果(learning)を通じてDSGEモデルの中でどのように修正されてゆくか、また誤った信念が助長されてゆくメカニズムが存在するか理論的に考察するというのが本年度の当初の目的であったが、残念ながら現在のところ画期的な発見までには至っていない。 一方本年度の研究計画の一部であるベイズ統計量と周波数解析を用いた動学的一般均衡分析の実証的評価方法の開発と応用には著しい進捗がみられた。James M.Nason博士(米国・フィラデルフィア連邦準備銀行)との共同研究である周波数解析を用いたDSGEモデルの実証的評価の研究では、通常の構造的ショックに対するインパルス応答関数の周波数領域における分解がDSGEモデルの実証的な識別における強力な統計量になっていることを示した。この統計量によっていわゆるニューケインジアンのDSGEモデルにおけるさまざまな実物的および名目的な硬直性のマクロ経済データにおける役割をベイズ評価したとき、それら硬直性の役割が特定の周波数領域と構造的なショックの種類(恒久的な技術ショックか一時的な金融政策ショックか)とに密接につながっていることが明らかになった。論文はアトランタ連邦準備銀行のワーキングペーパーとして出版され、また多くの各国中央銀行および大学(フィラデルフィア連銀、サンフランシスコ連銀、ジョンズ・ホプキンス大学、香港科技大学、大阪大学、慶応大学、東北大学等)での研究会で報告されるに至った。現在学術雑誌に投稿するための校正中である。 本年度のもう一つの進展は、現在シドニー工科大学所属している加納和子博士と法政大学経済学部武智一貴准教授との実質為替レートおよび一物一価の法則に関する研究が大きく進展したことである(この研究は当初為替レートのパススルーに関するものだったが、一物一価の法則に関するものに修正した)。国際金融の分野では、同一財はおなし通貨で評価して同じ価格を持つという一物一価の法則が、実質為替レート決定の基礎となっている。従来一物一価の法則が満たされないのは非貿易財が主な原因だという既成概念があったが、個別商品の小売価格データを用いた最近の研究では、地域間で容易に貿易が可能であると考えられている商品でもこの一物一価の法則が満たされていないことが明らかになっている。その際一物一価の法則が満たされない要因の一つとして考えられているのが輸送費用の存在である。この輸送費用の重要性を実証するため、既存の研究では地域間価格差の絶対値を地域間距離で回帰する方法が採られており、通常統計的には有意だが非常に小さい係数(価格差の距離に対する弾力性)が確認される。つまり一物一価からの乖離を説明するうえで距離に比例する輸送費用は経済的にはあまり大きくないという推測が得られる。この共同研究の問題意識は、既存の回帰分析が財の貿易輸送をするかしないかという供給者の離散選択を無視しているという点にある。もし貿易輸送の離散選択が価格差同様に輸送費用に依存して決定されているとする。このとき価格差が観察できるかどうかは貿易輸送するかどうかに依存する。よって価格差の情報だけから輸送費用の推定を行うと、その推定はサンプルセレクションバイアスの影響を受ける可能性がある。それゆえこの共同研究の目的は、財の貿易輸送の離散選択を考慮しサンプルセレクションバイアスを除去し地域間価格差における輸送費用の役割を再考することにある。この目的のため、離散選択がある経済モデルを考察し、そのモデルの制約を課した上で計量経済学的なサンプルセレクションモデルを推定する。推定においては当該財の生産地と消費地およびそれらの地域での価格の情報が必要になるが、従来の研究が扱う小売価格データでは、これらの情報は入手できない。この共同研究の大きな特色は日本の青果物卸売市場価格の日次データを用いることにある。このデータの極めてユニークな点は青果物の産地と産地卸売価格および消費地の卸売市場価格が直接観察できることであり、輸送の離散選択を確認できることにある。現在データを使用しサンプルセレクションモデルの推定を開始している。いくつかの青果物で得られた現在時点での結果によると、従来の価格差の距離に対する弾力性の推定値よりはるかに大きい値を観察している。
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