21年度は、内モンゴルにおける中華民国政府の統治システムの再構築過程を明らかにするため主として土地文書資料の調査とその分析を行った。まず中国遼寧省梢案館において、熱河省・奉天省および内モンゴル地域のアーカイブ資料を調査・収集し、さらに内モンゴル自治区フフホト市において、内モンゴル大学の研究者と意見交換を行った。また、これと並行して民国期の政府刊行物(マイクロ資料)を購入したほか、土地関係資料を収集し、分析を進めた。これらをもとに、1920~30年代初頭、中華民国北京政府ならびに中国東北の各省政府が内モンゴルにおいて進めた諸政策について、とりわけ土地政策展開の社会経済史的意味に注目しつつ、以下の諸点を明らかにした。(1)1920年代、内モンゴル東部では、旧来の盟旗制度と省県の制度が併存し、制度の運用を巡って蒙・漢の間で対立が深まっていたこと。(2)伝統的な盟旗制度を維持しようという立場と、盟旗制度の改革を進めようとする立場の相違・対立は、蒙・漢間のみならず、モンゴル王公の中にも存在したこと。(3)なかでも熱河省(ジョーオダ・ジョソト盟)とジリム盟のモンゴル王公の対立が顕著となっていたが、これらは両者の社会経済的差異(開墾状況、北京政府との距離)と密接に関連していたこと、である。以上の研究成果については、「1920年代、内モンゴルにおける制度変革とモンゴル王公」「『藩部』と『内地』-20世紀前半の内モンゴル」と題する論文として公表したほか、国際ワークショップにて報告を行った。
|