本研究は旧植民地に在住していた植民者たちが戦後本国に戻ったあと、自分の経験を出版物で語り、その語りが映像化された際に植民地だった国と植民者の国でどのようにそのような映像が受け入れられるのかという問題に取り組んだものである。研究2年目に当たる今年度は2008年(初年度)で収集してきた資料や文献のまとめと事例を中心にいくつかの論文で成果を出すことができた。本研究が対象としている日本と韓国は戦後まもない1960年代初期までも国交正常化はなかったものの、多くの映画人たちが国境をまたぎながら活躍をし、そのなかで植民地の経験を語る出版物や映像はこうした人々によって運ばれた。本研究においては植民者たちの映像が日韓でどのように受け入れられたのかという問いを追及するなかで、その主体や社会的背景をもともに考察し、映像メディアのコンテクスト的考察を行った。この研究で得られた知見は、以下の通りである。第一、植民地の歴史をめぐって日韓の解釈が相違するなかで作られた在朝日本人に関する映像は最初から日韓の間で受け入れやすくするため、さまざまな編集が行われた。第二、それらの映像は日韓の間で通用する「普遍的価値」を強調するため、主人公を女性とし、母性や恋愛をテーマにすることで歴史の解釈の相違からくる批判を免れることができた。第三、これらの映像は1965年の日韓国交正常化の前からすでに制作されたが、日韓両国で上映されるには「在日」映画人たちが大きくかかわったことも明らかになった。しかし、本研究では在朝日本人の映画経験や1960年代に日韓で活躍していた「在日」映画人の実態を探ることができなかったが、これからの研究課題とする。
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