常磐炭砿は1971年に部分閉山し約5千人の離職者を出した。しかし、筆者をふくむグループが独自に行った調査結果によれば、閉山離職者のその後の再就職は比較的良好であり、いわき市全体における人口、雇用、社会福祉などの統計をみても、石炭産業の消滅による打撃はあまりみられない。この研究では、常磐炭田が閉山をうまく乗り越え地域再生に成功した要因を、企業、労働組合、自治体の3者が連携をとりつつ長期にわたって、石炭産業の終焉のための準備をすすめてきたことにあることを指摘した。企業は、炭砿の最盛期をすぎた直後の昭和30年代から多角化を進め、炭砿労働者をグループ会社へと出向・転籍させた。労働組合は、労使協調的な性格が強く、企業とともに労働力を新産業への移転させる現実路線をとり、離職者にたいする就職支援を積極的に行った。長期的な衰退過程のなかで、企業と労組に、再就職支援のための経験が蓄積されていたことが閉山時に高い就職率を達成できた要因のひとつである。自治体もまた5市9町村の合併、新産業都市指定の誘致活動を通じて、石炭産業にかわる新たな雇用先の確保に努めたのである。また、常磐炭砿の場合には、閉山にいたったタイミングがそれほど早すぎず、十分に計画立てられた支援を受けることができたこと、地理的に首都圏から近接しており、労働力の移動や工場の誘致などにおいて比較的有利な条件を満たしていたことなども、注目すべき点であるといえる。日本が石炭産業にたいして長期的撤退の戦略をとったが、そのためには膨大な補助金が投入されていった。にもかかわらず現在の旧産炭地の多くは衰退をたどり、常磐炭田のように炭鉱離職者の大部分が再雇用先をみつけることができた地域は少ない。企業、労働組合、自治体が連携しつつ、自立的な支援策を採ったことが、長期的撤退の戦略が成功しえた条件であったといえる。
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