本年度は、第一に明治期から大正期にかけての感化院の職員の不良少年観の変化を検討し、論文に取りまとめた。前年度、社会事業史学会で発表したものを踏まえ、論文化した。主として成田山感化院に収容された不良少年に対する職員の分析の変化を時系列的に検討し、社会や風俗のあり方などとの関係を明らかにした。具体的には、精神医学の発達や娯楽としての映画の広まりなどにより、素行の不良化の原因が新たに付け加わっていったのである。感化院における感化教育や不良少年観の変化を確認できたのは、本研究にとって重要な発見であった。 第二に感化院の収容児の脱院・逃走をテーマとして取り上げ、東京感化院と東京市養育院感化部を事例として、比較・分析を行い、論文に取りまとめた。東京市養育院の逃走児は少なく、東京市養育院感化部の逃走児は多いという統計的なデータに注目し、その理由を検討した。その結果、逃亡先としての家庭の有無が影響していることがわかった。東京感化院の収容児は家庭に逃げ込み、施設に連れ戻されたのに対し、東京市養育院感化部の収容児は逃げ込む家庭はなく、施設に連れ戻されるようなことは少なかったのである。いわば、家庭・家族というセーフティネットの有無が、感化教育からの脱落者の人数に大きく関係していたのである。 なお、家庭・家族の有無は、収容児の出身階層に大きく関わっていたと考えられる。前々年度の研究で明らかにしたように、東京感化院は上・中流層の子弟、東京市養育院感化部は下層民の子弟を収容していた。そうした階層性の違いが、逃亡者の人数の違いにも表れていたと言えるであろう。
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