本研究を通して明らかになったことは、福祉国家の理論的基盤の解体ということである。イデオロギーとしてのサッチャリズムの登場は、英国病を発生させた旧来の形での福祉国家政策について、それを政策目標として継続させることに関する政治的な合意を得ることの限界を明らかにしたといえる。そこでは新たな展開としての福祉国家路線が要請され、サッチャーは個人主義、自由主義といったニューライト思想に基づく「小さな政府」という体制で諸困難を乗り切ろうとしたといえる。このことが意味するのは、国家の役割を重視する経済的にも行政的にも国家中心のシステムが転換し、自由な個人を重視する社会システムを指向するようになったことである。同様に福祉国家システムに伴う行政国家化・官僚制化は、公私機関のパートナーシップという役割分担によって国家の位置が相対化されることになる。また非市場活動が大部分を占めていた福祉国家では考えられなかった、市場における消費者・顧客という国民の位置づけもなされるようになった。これはコミュニティ・ケア政策やシチズンチャーターの制定でも見られる動向である。つまり国家中心、官僚制、非市場という福祉国家理論は崩壊したといえる。この路線はブレア労働党政権においても同様の動きがみてとれることが明らかになった。すなわちブレアは労働党政権としてオールドレイバーを復活させるのではなく、行き詰まった福祉国家路線の改革を推進するために、ある意味においてサッチャー政権の福祉国家路線を踏襲している。これは昨年度の研究でも明らかにしたように、後戻りすることができない現状を打開するためには不可避であった選択肢であったといえる。この意味で「第三の道」は、現状打開に対してきわめて現実的であるといえる。イデオロギーを採るべき政策の判断材料として最重視していない点は、ブレア労働党政権を特徴的な政権であると結論づけることができる。
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