日本人が伝統的に重んじてきたと思われる価値「ふつう」について、著者は、現状の観察や先行研究から、世間の価値観(あるいは社会規範)として認識され続けているために行動に影響するが、実は誰ももう「ふつうさ」にあまり価値をおいていないという形(多元的無知状態)で存在しているのではないかと考えている。 昨年度、「ふつう」について自分はあまり望ましいとは思わないが世間では望ましいと思われているという乖離があることまでは実証した。具体的には、予備調査において「ふつう」と評価された人物と「ふつうではない」と評価された人物についての記述を大学生回答者たちに読ませ、全体的印象や対人魅力を測定する方法を用いた。この際、「世間一般」が「自分より目上の人たち一般」を指すことを避けるため、「クラスメイト」という語を使用し、同世代での他者の考えをも予測させた。そして、「ふつうの人」に関しては回答者本人の評価よりも世間一般の評価の推測において対人魅力が高く、「ふつうではない人」に関しては回答者本人の評価よりも世間一般の評価の推測において低いという結果を得た。これは世間一般では「ふつうさ」に価値が置かれてはいるが、自分はあまり置いていないというダブルスタンダードの存在を意味する。 本研究ではこれを発展させ、どのような特性を持つ人がどのような状況でこのような価値観のずれを生じさせやすいのかを検討する。また、調査しやすい大学生だけではなく、集団圧力の影響を受けやすいといわれている小中学生の意識も調べたい。 本年度は、まず、回答者数100名程度の質問紙調査を行い、現象の確認と、個人差について探索的な検討を行った。その結果、「ふつう」について自分はあまり望ましいとは思わないが世間では望ましいと思われていると考える傾向は再び認められたが、この傾向が強い人がどのような特徴を持つのかについてはあまり明確な関連変数が見出されなかった。来年度内容を見直して再実施する予定である。 次に、小中学生622名対象にアンケートを実施した。その目的は以下の3点であった。(1)彼らの年代でも上述の乖離が認められるのかどうかを検討する、(2)彼らが「ふつう」だとみなす基準を明らかにするために、彼らのふつうの子・ふつうではない子のイメージを調査する、(3)年齢による変化(小学5年生から中学2年生)を検討する。 現在数値部分のデータ入力が終わったところだが、自分はあまり望ましいとは思わないが世間では望ましいと思われていると考える乖離がほとんど見られないこと、ふつうの子のほうがふつうではない子よりも好ましく評価されていることなどがわかっている。来年度も引き続き自由回答の入力と分析を行い、また全く同じ質問紙を用いた大学生データとの比較も行う予定である。
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