本研究における目的である、熊本大学五高記念館所蔵の五高関係史料を総合的に活用した第五高等中学校の実態を行うため、研究計画に従い前年度同様態本大学五高記念館(熊本市)を、また医学部関連資料の把握のため今年度は長崎大学・長崎歴史文化博物館における現地調査を実施した。また史料調査に合わせて1880年代教育史研究会の例会に参加して研究者からの情報収集に努めた。 本研究における成果として次の3点をあげることができる。(1)第五区域内各県代表により設けられた相談会の分析から、高等中学校の政策的意図と第五区域における同校学校設立趣意の受容の実態を考察したこと(「第五高等中学校創設と設置区域内における議論-1887(明治20)年8月開催の相談会を手がかりに-」『教育学研究紀要』54巻1号)、(2)学校内規の構造から第五高等中学校の組織としての特徴を明示したこと(「第五高等中学校の職務関連規程について」『一八八〇年代教育史研究年報』第1号)、(3)第五高等中学校入学者の出身校および生徒移動の分析から、九州地域の尋常中学校との生徒数分析に基づく統計的な接続関係(「第五高等中学校の修学実態と社会的機能に関する研究」教育史学会第53回大会口頭報告)を具体的に明らかにしたこと、である。特に区域内尋常中学校と高等中学校との接続関係の検証および区域外尋常中学校と高等中学校との接続関係の検証については、個別の尋常中学校ごとに高等中学校への入学のパターンがあることが把握できた。このことは高等中学校の創設による尋常中学校の教育内容の平準化の方向性とそれにともなう序列の実態化が1880年代後半に進んだという仮説につながるものである。これを検証するためには生徒を送り出す側の尋常中学校の資料にあたる必要があり、今後の課題である。なお、本研究成果の一端として『第五高等中学校史料-協議会・高等中学校長会議関係-』(2010年)を刊行した。
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