本年度は、1898年に創刊された雑誌『児童研究』における発達研究の展開について、資料収集と分析を行った。関連する先行研究を検討した結果、長期にわたる書誌学的研究が蓄積されている一方で、本誌と教育学との関係は未だ明らかにされておらず、全体として個別的なトピックの分析にとどまっていることが分かった。そこで、教育の基礎学としての児童研究の役割を明らかにするために、『児童研究』がどのように自らの役割を規定していたのか、そこに「発達」概念がどのように関わったのかを課題として分析を行った。 その結果、(1)『児童研究』誌上では、たびたび教育学や心理学だけでなく身体的研究(生理学、医学、生物学など)の必要性が訴えられていること、(2)その方向性を進めようとした担い手は、長らく編集を務めた高島平三郎ではなくむしろ医学者富士川游(教育病理学)であったこと、(3)しかし、児童の精神面と身体面を見渡したトータルな研究の成立は容易ではなく、主に外国研究の輸入が中心であったこと、(4)そして子どもの心身の変化を示す概念(発達、成長、発生、生長など)は論者の志向性により使用傾向が異なることがうかがわれた。以上から、教育学の基礎概念である「発達」概念は、『児童研究』においては精神面に傾斜する傾向があり、その問題性が認識されつつも容易には乗り越えられなかったことが分かった。なお本年度の研究は主に明治期の『児童研究』の分析にとどまったため、次年度はそれ以降の展開について押さえつつ、1930年代の発達論争との関係の分析に進んでいきたい。
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