本年度は、雑誌『児童研究』における発達研究について、明治40年代以降の展開を昨年度からの作業に引き続いて整理すると同時に、明治末以降本誌の中心的存在となった富士川游の思想について検討を行った。 これまでの研究においては、特に富士川研究について、(1) 呉秀三とともに日本医史学会を設立し『日本医学史』(1904)をまとめるなど医学史研究の展開があっただけでなく、(2) 同時に宗教に関する研究(『富士川游著述選』第1~5巻、中山文化研究所)がまとめられていたことが注目された。このことは、日本における西洋医学の受容過程における日本文化との接合の問題、すなわち日本人の身体感覚の宗教的側面と西洋医学の関係が富士川によって追及されていたことを示唆している。この点は、日本の発達概念における身体論の脆弱性に着目する本研究にとっても重要な鍵となると考えている。 また、上述の歴史研究と同時に、近年とくに教育思想史研究を中心として展開されている戦後教育学批判における発達論批判の整理・検討も行った(ex.矢野智司『贈与と交換の教育学』)。これらの議論については、発達概念の社会的ロジック(ex.競争への親和性)への批判を展開しているところに共鳴しつつ、富士川にみられるような教育病理学研究を通しての医学的・宗教的身体論追求の努力があった歴史を踏まえていないところは不十分であり、それゆえに新しい概念の提示(ex.生成)において歴史的文脈が見落とされていることが指摘できる。本研究の意義は、発生論的な発達論研究の日本における系譜を明らかにすることで、そこから発達論の新しい可能性を探るところにあると考えている。
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