本研究では、クラーク大学の児童研究所の史料やホールの往復書簡などの分析を通して、ホールの児童研究が児童研究所を拠点として遅滞児や特別学級の子どもの相談や教師の研修に関わっていたことが明らかになった。主に①児童研究所の組織と運営におけるG.S.ホール、②地元教師への研修内容、③遅滞児への相談活動の視点から検討を行った。 また1898年から1910年代におけるウスター市の公立学校の特別学校・学級で行われた多様な困難のある子どもに対する特別な教育的配慮についても議論を行った。ウスターには、特別学級又は無学年制の学級と、独立した特別学校という二つの種類の特別学校があったことを明らかにした。
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