遷移金属カーバイド錯体は、原子状の炭素を配位子とする比較的例の少ない有機金属化合物であり、構造化学的に興味が持たれてきた。また、遷移金属カーバイド錯体は、フィッシャー・トロプシュ反応のような不均一系触媒反応における表面カーバイド種の有機金属モデルとしても興味が持たれる。本研究では、三方平面型構造のカーバイド配位子を有する新規な3核遷移金属錯体が、前駆体であるメチレン錯体の炭素-水素結合切断反応により得られることを明らかにするとともに、その詳細な構造決定に成功した。本錯体のカーバイド配位子は、3個の遷移金属フラグメントを置換基とするsp2炭素原子の初めての例である。分子軌道計算の結果、カーバイド配位子は2つの金属との問にdπ-pπ相互作用を含む多重結合を形成しており、もう1つの金属との間にはσ結合のみを有することが分かった。この結合様式は、含窒素複素環カルベン錯体に見られるものと類似しており、ジメタラカルベンとしての性質を示唆する知見として興味深い。錯体の生成機構に関する検討を行った結果、メチレン錯体からカーバイド錯体へと至る途中の反応溶液中に、中間体と考えられるメチリジン錯体が生成していることをNMRスペクトルにより明らかにした。また、カーバイド錯体の反応性に関する知見を得るために、フィッシャー・トロプシュ反応の基質の1つである一酸化炭素との反応を行ったところ、カーバイド配位子とそのシス位に位置するヒドリドおよびメチル配位子との炭素-水素および炭素-炭素結合形成反応が進行し、C2ユニットであるエチリデン配位子が生成することを見出した。これは、カーバイド配位子とアルキル配位子との分子内炭素炭素結合形成反応を観測した初めての例であり、表面カーバイド種の増炭過程に対するモデル反応として興味深い。
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