研究概要 |
本研究では,「内国植民地」と呼ばれた沖縄や北海道も含め,全ての戦前期の旧植民地諸地域で営まれていたほぼ唯一かつ大規模な産業であった製糖業に着目した。まず,現地調査や文献調査などにより,沖縄や北海道を中心に日本各地,南洋群島,台湾,朝鮮,樺太ならびに「旧満洲国」における製糖工場とそれを取り巻く社宅街の建設と発展過程を明らかにしようと試みた。次いで,これらの比較を行うことを通して,製糖業に係わる建築活動という指標あるいは評価軸で,旧植民地諸地域といわゆる「内地」における当時の建築活動のそれぞれの地域での特質性や相互の同質性を明らかにしようと試みた。 本年度も,昨年度までに引き続き,各地の図書館や関係機関などで,戦前期における製糖業に関する各種資料/史料の収集に努めた。次いで,北海道帯広市に残る旧北海道製糖(現日本甜菜製糖)の旧本社社宅街について,現地調査を行うと共に各種資料/史料を収集した。収集した史料と空中写真などを用いて,これまで詳細が不明であった旧本社社宅街の変容過程を明らかにした。あわせて北海道大学図書館や北海道立図書館でも資料/史料収集を行った。また,台湾における戦前期の製糖工場と社宅街について,昨年度も含めると合計16ヶ所の現地調査を行うと共に各種資料/史料を収集した。さらに,門司新報に掲載された記事を用いて,これまで詳細が不明であった鈴木商店大里精糖所の建設過程を明らかにすることができた。最後に,各地の製糖工場とそれを取り巻く社宅街を相互に比較するための枠組みについて検討した。その結果,1)製糖業を取り巻くネットワーク,2)工場や社宅街の建設技術の伝播経路,3)工場や社宅街で働く人々の違い,4)工場や社宅街が周囲に与えた影響と残したストック,の4つの視点からの考察が有用であることが考えられた。
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