本年度は日本を中心に八角堂・六角堂についての資料収集をおこなった。発掘遺構では、近年、群馬県伊勢崎市三軒屋遺跡で検出された7世紀後半〜9世紀の八角建物(掘立から礎石に建て替え)がある。正八角形平面でない点、また総柱のため倉庫と見られる点は、現存する八角堂にない特異な性格をもつ。ただし建築的には、束柱を立てて台輪を置き、校木を組む組積構造をじゅうぶん想定でき、また正八角形でないため、短いほうの対辺間に2本の梁を架けて寄棟屋根とする小屋構造を考えやすい。それ以外の発掘遺構はすでに先行研究で指摘されている10件足らずで、前期難波宮の東西八角殿が現存建築遺構をしのぐ最大規模を誇る。八角の柱列が3圏にめぐるのも特異だが、内から1圏目と2圏目の柱列の距離が建物規模に比してやや狭く、1圏目の柱列で囲まれた中央部を広くとる点も特徴だろう。 財に指定されている12件(うち輪蔵と六角堂が各2件)で尽くされているようだ。このうち柱上で建物の各辺と直交する組物を出すのは、安楽寺八角三重塔、三聖寺愛染堂、安国寺経蔵内輪蔵、園城寺一切経蔵内輪蔵であり、他の堂は建物の辺と平行に置くか、柱上で隅行のみに組物を出す形式である。ただし安楽寺八角三重塔を除けば、内部構造と関係のない見せかけの組物で、このようにつくるのは単に外観の整備が理由らしい。これらは禅宗様系の建築で、組物も二手先以上で詰組とするなど複雑であり、柱上だけを隅行のみの組物としにくかったと見られる。これは中国の八角塔の多くが、柱上あるいはその近辺に建物の辺と直交する組物を挺出させるのとよく似る。本年度は現地調査をおこなえなかったが、古制を保つ近世の八角堂・六角堂・輪蔵をも視野に入れてさらに検討する必要があろう。
|