世界初となる氷を用いた痛覚刺激は、申請者である荻野が開発したものであり、自身によって計3日間かけて実施され、事故もなく安全に終了することができた。今回、人間を対象にした極めて実際的な研究であり、その結果(蔗糖誘発鎮痛のメカニズムが脳内事象であること)はすぐ臨床現場につながることとなり、社会的影響も大きい。現在、以上の研究結果は英国神経科学誌 NeuroReportにおいて印刷中(in press)である。 我々は2007年に、「痛み」が感情であることを、極めてシンプルな方法で証明した(Cerebral Cortex 2007)。痛みを連想させるような画を見て、自分の痛みとして、痛みを想像してみる。誰でも注射のような痛みを受けた経験と記憶があるので、容易に痛みを想像することが出来る。この脳活動を、fMRIを用いて計測したところ、実際に侵害刺激を末梢組織に与えた場合の痛み関連脳領域とほぼ同様の領域の活性化を認めた。「痛み」はユニークな脳活動を呈する、一つの独立した感情活動と言える事を証明した。 「甘みで癒される」ことは経験的によく理解できることだが、実は、心だけでなく身体的な痛みも癒されることを我々は最近のfMRI研究によって示すことに成功した。痛み刺激を加える前に、甘みを摂取すると、主観的な痛み・甘味による情動変化と共に、痛み関連脳領域の活動が小さくなることを見いだした(英国神経科学誌 NeuroReportにおいて印刷中、PubMed ID: 20220542)。では、なぜ甘味が、痛み受容に影響するのであろうか? 過去のラットの文献からは下行性抑制系に関する内因性オピオイドの関与が示唆されている。残念ながら、我々はこのメカニズムについては確証を得ることが出来なかったが、甘味摂取時には、やはり報酬系領域の活動を認めることから、同領域のドーパミン性、内因性オピオイド性の活動から脳幹下行性抑制系の活動につながり、痛み体験の修飾を生じている可能性を推察している。根拠は、MRIの技術を基にしたDiffusion tensor imagingという最新手法を用いて、大脳皮質と脳幹部の間に解剖学的な連絡があることを、生きているヒト脳において示された報告があることで、大脳高次からtop-downで脳幹部に機能的に痛みを修飾していることを支持する。味覚のうち、鎮痛作用があるのは甘味のみであるようだが、心地よい香りにも気持ちの変化と共に、鎮痛作用が明示されている(22)。報酬系領域は、下行性抑制系と共に今後最も注目され、研究対象となるであろう。 我々が行った甘味誘発鎮痛の研究においては、被験者に甘味誘発鎮痛に関する情報を隠蔽 maskしていないことにより生じる期待効果を誘発している可能性が排除できない。最近のfMRI研究によると、宗教心による鎮痛効果(placebo効果と同様、LPFC領域と脳幹部の活動)も客観的に示されている。つまり、われわれ人間の場合には、同じ下行性抑制系を発動させるにしてもラットとは異なり、どうしても(人間ゆえに)より高次機能の影響・統御を強く受けながら生きているのではないだろうか。
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