本年度は当初の計画にしたがって、フランス学会における近年の研究成果の検討と基本的な史料の収集に重点をおいた。絶対王政を大小様々な地方的権力や身分団体に支えられた社団国家と捉える新しい認識のもと、各地において王の最高裁判権を行使した地方高等法院に関しても、1980年代以降関心が高まっている。法院設立においては、当地の権力関係にそくした多様な局地的利害が絡み、王権がこうした利害に、パリおよび設立地の時々の情勢に応じて対処したことを確認できる。たとえば、15・16世紀に設立された6か所の高等法院は、かつて栄えた諸侯国の最上級裁判所を再編するかたちで設立された。一方、王国西部ポワティエの都市政府のように、法院設立を革命前夜まで請願しつづけた地方もみられ半その要求は実現しなかったものの、王の最高裁判所を地元にもつという希望が根強かったことが指摘されている。こうして各地における法院設立の多様な姿が示されるなか、王国全土に及んだ国王裁判権そのものに関しても再考の機運が高まる反面、近年の諸研究は社団国家論の強い影響下にあるためか、高等法院が設立されたあるいはこれを要求する地方側への関心が高く、もう一方の要素である王権やパリ高等法院の利害への関心が低いことも確認された。とくに重要と思われるのは、15・16世紀設立の地方高等法院のうち、トゥルーズとルーアンの法院は諸侯国の王領併合から150〜200年後に出現したのに対し、デョジョンやレンヌほか4つの法院は王領併合の直後に設立された。ここには英軍のパリ占拠やイタリア戦争など王権側の事情が密接に絡んでいると考えられ、次年度以降の課題として検討する。こうした検討については、今年度の史料調査・収集かち、トゥルーズ、ディジョン、レンヌの法院を事例とすることで、具体的な検討が可能であることが判明した。
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