本研究の目的は、15~16世紀のフランスにおいて、王国内にいくつもの最高裁判所(以下、高等法院)が設立された過程を解明することを通じて、王国諸地域の多種多様な権力がどのような仕組みによって国王支配下におかれ、全体としていかなる権力秩序が形成されたかを探求することである。本年度の研究内容としては、王国の中心地パリ以外に設立された7つの高等法院に関して、(1)主にJ.プマレド編の論文集を手がかりに、地域ごとに多様な展開を示した高等法院の設立過程の類型化を試みるとともに、(2)王の勅命や国王役人と地方諸身分の合意文書などを収集することができたブルゴーニュに関して、その具体相を検討した。これらの研究の結果、パリから離れた地域に高等法院が設立されるか否かは、百年戦争終結直後の15世紀後半の時点で、当該地域が王権とどのような関係を有したかに深く関わることを明らかにした。すなわち、ブルゴーニュやアキテーヌのように、15世紀末における王領編入の直前まで王権と鋭く敵対していた地域では、王は王領編入を断行するのと並行して、旧来の裁判組織を早急に高等法院へと再編した。ここでは、王権は高等法院を導入することで、地元民に王権下での良き統治をアピールしたといえる。一方、ラングドックのように長く王領であった地域において、王は戦時の協力と引き換えに地元諸身分の嘆願を聞き入れるかたちで、高等法院の設立を承認した。ここでは、王権がその直接支配を再強化する一環として、地元諸身分との政治的妥協の結果、高等法院が設立されている。このように高等法院という統一的な裁判機構の形成の背景に、各地の状況に応じた王権の多様な統合政策を明らかにしたことの意義は大きい。以上、各地域の類型化については『秋大史学』第56号に論文を公表し、ブルゴーニュの特殊な事例については秋田大学史学会において発表を行った。
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