平成21年度は、佐藤春夫のナショナルアイデンティティ形成に重要な意義を持つ大正9年の中国旅行について、国際学会で報告し、これをもとに論文を執筆した。同じ旅行中の台湾紀行に関しては、90年代以降現在に至るまで論文が続出し、研究の蓄積もかなり進んでいる。だが、対岸厦門地方の旅行記については、外部資料による裏付け調査を含め、本格的な研究は皆無である。本研究では、大正9年当時の厦門の政治情勢と地理情報を、当時の旅行指南書や写真、日本領事館作成の報告書などに基づいて詳密に復原することに成功し、春夫の紀行文における情報選択の特徴を浮かび上がらせることができた。その成果は博士学位論文と、中国上海における国際学会での発表に活かしたが、特に後者の討論を通じて、中国の研究界における佐藤春夫のネガティヴなイメージに触れたことは、極めて意義深いことであった。 また、課題研究の過程において、春夫が信州佐久での疎開中に使用した詩の創作ノートを調査する機会があった。大正期に形成されたナショナルアイデンティティの一端は、昭和に入り、戦争詩という極端な形をとって発揮されることになるが、敗戦により状況が一転した戦後社会において、春夫は改めて自己のアイデンティティを再構築する必要に迫られた。文学者において、それはとりもなおさず言葉を通じて行われるのであるが、ノートに残された詩の推敲過程をつぶさに辿ることで、春夫の自己回復の軌跡をメディア論・表現論的な側面から追究することができた。このノートの発見により、大正作家の芸術家アイデンティティの形成過程を跡づけるという当初の構想を超えて、戦後社会への適応というより広い視野から研究テーマを捉える視座を与えられたことは、大きな収穫と言える。
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