前年度の調査の結果、アントニオ・カンピが1580年代に祭壇画を手がけたミラノのサンタンジェロ聖堂ガッララーティ礼拝堂を中心に研究を進めた。ミラノ国立文書館のガッララーティ家資料の調査により、聖堂改築事業、本作の制作経緯についての情報を得られた。公立文書館にない資料が同一族の私立古文書館に所蔵されていることが判明したものの、一族の古文書館は現在、非公開であり、本研究年度中にアクセス許可を得ることはできないため、作品注文の宗教的背景を明らかにするには時間を要することが明らかになった。そこで本年度は、アントニオ・カンピのミラノ時代を把握すべく、個別の作品研究よりも彼の活動環境に着目して研究を進めた。ガッララーティ家の祭壇画は同時代の画家・芸術理論家ロマッツォの著書の中で酷評された背景として、先行研究では16世紀のミラノにおいてカンピのような外来芸術家に対してロマッツォをはじめとするミラノ出身の芸術家たちが示した敵愾心が指摘されている。(16世紀のミラノにおける外来の芸術家の流入に関する研究成果は、本年度末「16世紀のミラノにおける芸術環境」として発表)しかし、アントニオとその兄弟は彼らの故郷クレモナのガッララーティ家のために働いており、ミラノにおける彼らの代表作サン・パオロ・コンヴェルソ聖堂の装飾事業の注文主であるスフォンドラーティ一族もクレモナ出身であることを考えると、地元/外来の間の軋轢は芸術家間だけでなく、パトロンも含めた問題として検討すべきであり、ロマッツォによるアントニオ批判の意味も見直しが必要となる。ミラノ周辺部でのアントニオ・カンピをはじめとするカンピ兄弟の活動の全容はいまだ明らかになっておらず、作品基本データベースを作成するため、前年度に引き続き、メーダのサン・ヴィットーレ女子修道院聖堂、ジェッサーテの教区聖堂などの作品を行い、去年度から集めた画像資料の処理と整理を進めた。
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