中部ヴェトナムのトゥアティエン・フエ省にて、ホアチャウ城の基準杭打ちによる測量網整備を行い、地形測量を開始した。また、4カ所で試掘を行い、出土遺物による居住時期頻度を明らかにした。また、周辺域のチャンパ時代の遺跡の分布調査を行った。さらに、建築・土木技術のインド・中国方面との比較研究を行うため、北部ベトナム(タンロン城、胡朝城、ドンソン遺跡、ラムキン遺跡)と中部ベトナム(クオンミー、ズオンロン、ミーソン、アンタイン城、ミーカイン、チエンダン)の主要な巨大建築遺跡のサーベイと出土遺物の資料化を行った。この調査を通じて、9-10世紀インドよりマレー半島経由で、瓦制作技術が中部ベトナムに伝播し、10世紀には北部ベトナムに伝わり定着したことが明らかとなった。また、建築・土木技術においてもチャンパの技術が10世紀前後に中部ベトナムから北部ベトナムに伝わっている可能性が指摘でき、建築文化面において北部ベトナムが2次的なインド化を被っている可能性が高くなった。また、瓦や〓などから、チャンパの建築文化においても8-9世紀以前は、中国系の建築文化がかなり流入していることが理解できた。 また、先史時代末期に関しては、中部ベトナムから北部ベトナム出土のベーガーI式銅鼓の型式学的・鋳造技術的研究を行い、さらにマレー半島やタイ出土例と比較研究を行い、北部ベトナムで生産された銅鼓が輸出され、各地で失蝋法による模倣生産が行われ、地域性が生じたことを論証し、中部ベトナムからマレー半島にかけての地域は最終的にインド化や中国化により、在地文化伝統としでの銅鼓利用文化が途絶えたことを仮説として提唱した。
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