本研究は、近世期の王朝物語享受について、(1)中世末期から近世初期の連歌師とその周辺、(2)近世末期の物語目録作成者とその周辺、という大きく2つの軸を設けて検討を行なっている。本年度は、(1)に関連して里村紹巴についての調査研究と、(2)に関する文献資料の調査収集を中心に活動した。 まず(1)については、『源氏物語抄(紹巴抄)』を中心に検討を進めた。特に古活字本その他の奥書に名の見える三条西公条との関わりを、本文中の表現を手がかりに、公条の注釈書類と公条以後の注釈書類とを見合わせつつ検証した。その結果、紹巴は公条による複数の注釈体系を入手し『紹巴抄』に投影していることが明らかとなった。またそれに付随して、公条が従来知られているものとは別の注釈体系も有していた可能性と、その体系は『岷江入楚』や『山下水』といったいわゆる三条西家直流の注釈書類には反映されず、『紹巴抄』や『湖月抄』の「師説」等にその痕跡を留めているらしいこととが見えてきた。この問題については、国際会議(12th International Conference of the EAJS)および国内学会(広島大学国語国文学会平成20年度研究集会)にて報告を行なった。その後の調査結果も含め、次年度に論文化する予定である。 (2)については、無窮会神習文庫蔵『風葉集類字抄』をはじめとする『風葉和歌集』およびその周辺資料、同文庫蔵『楽前日記』をはじめとする和学者たち(主として物語目録作成者)に関連する日記類を中心に、実見調査ならびに文献複写を行なった。『風葉集』は近世期においても物語研究の重要資料として用いられていたようであるが、その所有あるいは貸借、活用の実態はあまり解明されていない。しかし調査の結果、『風葉集類字抄』は、『風葉集』そのものを検討対象とした数少ない享受資料のひとつであること、『風につれなき』『八重葎』を書写したことで知られる会田安昌が書き入れを行なっていることがわかった。当時の『風葉集』享受の具体相を知る好資料と考えられるため、その他の『風葉集』伝本および和学者関連資料と併せ、今後さらに検討を進めることとしたい。
|