平成20年度は、資料の収集・インタヴュー調査を行いつつ、日本の名誉感情侵害についての不法行為判例およびアメリカのIntentional Infliction of Emotional Distressの判例の分析を中心に研究した。両国の現状について概要を示せば、まず日本においては表現の自由との緊張関係が殆ど意識されてこなかったことが確認された。アメリカにあっては、名誉毀損不法行為に用いられる「現実の悪意」準則や名誉毀損および私事の公表型プライバシー侵害不法行為に用いられるとされる「パブリック・フィギュア」の法理などが援用されるなど、表現の自由との調整法理が検討されつつある。また、こうした研究の過程で、アメリカにおける司法審査(違憲審査)の基準が、日本において理解されているそれとは幾分ずれているのではないか、との印象を持つに至った。それは端的にいえば、司法審査基準における「standard」と「rule」峻別の要請である。アメリカで、不法行為と表現の自由の調整法理として示される様々なルールは、“いわゆる司法審査基準"とは性質を異にする。ところがそれは、ひとたび具体的訴訟の場面では、違憲審査の極めて有用な「ものさし」として用いることができるものである。かようなルールは不法行為以外の事案でも編み出されており、これを一種の司法審査基準であると正しく認識し、従来型の審査基準論と比較しながら整理することはアメリカの司法審査を理解する上で意味あることである。この区別の上に立つことで、「表現の自由と名誉感情侵害不法行為との調整法理」を憲法体系の中に適切に位置づけられるようになると考えられる。この作業と具体的調整法理の一層の解明が課題となる。
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