コロナ禍の渡航制限により研究内容の変更を余儀なくされ、本研究では「白人至上主義」という語の歴史的背景を探った。近年、米国では被害者に黒人がいると「白人至上主義」という語を使う傾向があるが、それは例えば警察暴力の被害者には白人もいるという現実を正しく反映していない。白人全てが「至上」であるかのような表現は様々な不平等が白人間にも存在することを不可視化することによって米国の民主主義を脅かしているのではないか。 本研究が明らかにしたのは、第一に「白人至上主義」は米国史の最初から変わることなく存在した思想ではないという点である。例えば合衆国憲法の「5分の3条項」は、奴隷制という強制労働と自由労働の生産性に着目して前者を後者の5分の3の価値とする議論から生まれたものであり、白人種の優性を謳ったものではない。 さらに、「白人至上主義」組織クー・クラックス・クラン発祥の地であるテネシー州を中心に南部全般を調査した結果、次のことが明らかになった。奴隷制時代は黒人に対する白人の法的優位が保障されているため「白人至上主義」は言及されないこと、南北戦争前夜でも連邦離脱派が「白人至上主義」のための離脱とは主張しておらず、共和党は「人種間の平等」を目指す党として非難された。開戦後、南部では白人社会内部の亀裂が表面化するが、「白人至上主義」という語によって団結させる動きはない。戦後の混乱期でも黒人に対する暴力に「白人至上主義」は掲げられず、テネシー州で黒人が初めて選挙権を行使する1867年頃になると民主党が共和党を「黒人至上主義」と呼んで白人種の優位を喚起する言説が散見され、1890年代には民主党エリートが「白人至上主義」は何よりも重要な教義であるという文脈で頻繁に使い始め、労働者の人種間協調を阻んだ。人種の分断を目指す19世紀のスローガンである語を21世紀に無批判に使うのは民主主義を危うくする。
|