法医学において水死体の溺水の証明には珪藻を主とするプランクトンが肺及び消化器系の臓器から検出されることが重要視されてきた。一方で死体検案ハンドブック第4版には、プランクトンは溺水以外の要因でヒト体内に侵入し得るとあり、溺水の判定のための指標としての価値に疑義をもつ考えもある。そこで本研究では溺水の判定のための新しい生物指標として多様な水生昆虫類をはじめとした無脊椎動物及び魚類の寄生虫や病原体に着目し、珪藻に依らない新規の生物指標を用いた溺死の判別と溺死場所の推定法の開発を試みた。 神奈川県の酒匂川、相模川及び浴槽内を調査地とした。気道とみなした穴を空けた鶏肉または豚肉を籠に入れ網で蓋をした溺水モデルを作製し、河川または浴槽に沈めて約10分後、120分後に穴にたまった水を採取した。また調査地点の環境水を採取し、付近の底生生物を採集した。浴槽の水と溺水モデル内の水からは肉眼で観察可能な底生生物は認められなかった。河川において採集した生物を同定して、 chao指数を採用して群集組成の非類似度を算出し、多次元尺度構成法で視覚化したところ地域差が認められた。同じ調査地点でも季節によって群集組成に違いがあると考えられた。アユの病原体である微胞子虫及び細菌の検出には至らなかった。プランクトンについては、環境水からミクロキスティス属の藍藻が、溺水モデル内の水からキンベラ属の珪藻が観察された場合があった。採取した水から無脊椎動物のmtCOⅠ遺伝子をPCRにより増幅し、アガロースゲル電気泳動で検出したところ、肉を含む水からは非特異産物と考えられるバンドが検出されたが、モデルの肉を含まない環境水と浴槽水を約700 bpのバンドの有無で区別できることが示唆された。 ヒト水死体の溺水から増幅された mtCOⅠ遺伝子の配列を調べ水生無脊椎動物の配列と比較対照することで溺水場所を推定できる可能性がある。
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