眼や頭、体の動きにより網膜像は時空間的に断続しているにも関わらず、世界は安定していると感じられる。視野安定の古典的モデルでは、サッカード毎に網膜座標表現を高速でアップデートする。このシステムとは別に、視点不変的な環境座標表現を時間をかけて構築する遅いシステムの存在が指摘されている。前者については実験的証拠が示されているが、後者については未解明の点が多い。本研究では、仮想現実(VR)空間において、遅いシステムが環境内の空間認識精度向上をもたらし、身体と環境とのスムースなインタラクションを可能にするという仮説を実験的に検証することを目的とした。 この目的のために、本年度では二つの実験を行った。一つ目は、VR空間内で実験参加者が歩行あるいは静止し、運動している物体における衝突までの時間(TTL)を推定させる実験であった。この実験では、手続きや解析を精緻化した上で速度や時間などのパラメータをさらに変化させ、結果のロバスト性を確認した。実験の結果、静止条件と比較して、歩行時間が長くなるにつれてTTLは正確になることがわかった。ことから、遅いシステムが空間認識精度向上をもたらしてことが示唆された。二つ目は、VR空間において大きさの恒常性が成り立つか否かを、変形ポンゾ錯視図形を用いて検討した。実験の結果、歩行時の周辺視において、大きさの恒常性に関する精度が特に向上することがわかった。つまり、遅いシステムにおけ空間精度向上には網膜位置依存性があることを意味する。 これらの実験から、身体動作は静止状態とは異なる認知をもたらすことと、環境座標の表現は必ずしも外界の正確なコピーではなく、網膜座標系からの情報が混在した形で知覚が成立する可能性があることが示唆された。こうした知見は、環境座標構築の機序解明、および身体運動と環境座標との関係性の解明に向けた手がかりになると考えられる。
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