研究課題/領域番号 |
20H04412
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研究機関 | 関西大学 |
研究代表者 |
陶 徳民 関西大学, 東西学術研究所, 客員研究員 (40288791)
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研究分担者 |
小嶋 茂稔 東京学芸大学, 教育学部, 教授 (20312720)
高木 智見 山口大学, その他部局等, 名誉教授 (30211999) [辞退]
二ノ宮 聡 北陸大学, 国際コミュニケーション学部, 講師 (50735016)
高田 時雄 公益財団法人東洋文庫, 研究部, 研究員 (60150249)
石 暁軍 姫路獨協大学, 人間社会学群, 教授 (60330479)
村田 雄二郎 同志社大学, グローバル・スタディーズ研究科, 教授 (70190923)
錢 鴎 同志社大学, グローバル地域文化学部, 教授 (70298701)
山田 智 静岡大学, 教育学部, 准教授 (90625211)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 内藤湖南 / 内藤文庫 / 大正日本 / 中国研究 / 文化交渉 / 日中関係 / 東西関係 / 近代東洋学 |
研究実績の概要 |
(1)2021年11月6日、7日に関西大学東西学術研究所で開催された国際会議「内藤湖南と石濱純太郎―近代東洋学の射程」の関連内容を中心に、『国際シンポジウム 内藤湖南研究の最前線』と題する論文集を編集出版した。 (2)2022年7月31日に京都大学人文科学研究所分館にて「近代日本・中国における章学誠研究熱の形成とそのインパクト―内藤湖南、胡適および20世紀中国学の諸相―」をテーマとする国際シンポジウムを開催した。内藤湖南撰『章實斎先生年譜』(1920年11月・12月『支那学』連載)の公刊による刺激を受けた北京大学の胡適教授が製作した同名年譜(1922年1月上海商務印書館)の出版100周年(内藤文庫に胡適自署の寄贈本が現存)を記念するためであった。京都大学人文科学研究所所長稲葉穣氏(代読)と関西大学東西学術研究所所長吾妻重二氏の挨拶後、本科研の代表者陶徳民氏と分担者高木智見氏、京都大学人文科学研究所共同研究班「清代~近代における経学の断絶と連続:目録学の視角から」の班長竹元規人氏、副班長古勝隆一氏と永田知之氏、台湾中央研究院近代史研究所研究員(長年同所付置の胡適記念館館長を務めた)の潘光哲氏、中国南開大学日本研究院院長の劉岳兵氏などが研究報告を行った。 (3)銭婉約・陶徳民・張子康編「内藤湖南研究中日英文献聯合目録(1934ー2022)」が『国際漢学研究通訊』第26期(北京大学国際漢学家研修基地、2022年12月)に掲載され、内藤湖南が亡くなった1934年から2022年までの中日英三語による内藤研究文献を網羅したものとして、これからの内藤研究に不可欠な参考書となっている。 (4)陶徳民と村田雄二郎が集英社創業95周年記念企画『アジア人物史』の編集陣に依頼され、内藤湖南など戦前京大の東洋学者12人を考察対象とする共著論文「京都帝国大学の東洋学―アジアの再発見」の作成準備を始めた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
『国際シンポジウム 内藤湖南研究の最前線』の「第一部 内藤湖南における学問と政治」は「内藤湖南の中国研究における「内在的理解」について」(黄東蘭)、「内藤湖南と〈アジア主義〉の時代」(山田智)、「内藤湖南の1912 年奉天訪書と清室古物問題」(村田雄二郎)、「王羲之的仆人 熊希齢的顧問―従1913年内藤湖南的自我定位看其中国観的特征」(陶徳民)、「1917年内藤湖南的中國訪問與羅振玉」(錢鴎)及び「試論内藤湖南與章太炎」(林少陽)など6本の論考、「第二部 内藤湖南の学術・芸術とその周辺」は「従羅王書信看早期甲骨学的形成」(羅こん<王+昆>、羅振玉の孫娘で中国古代史研究者)、「内藤湖南の東洋史論の特質とその史学史的意義」(小嶋茂稔)、「内藤湖南中国絵画題跋に関する再考察―関西大学図書館内藤文庫所蔵資料を中心に」(石暁軍)、「関西大学内藤文庫所蔵『内藤湖南宛廉泉書簡』について」(朱琳)及び「内藤湖南和羅振玉対智永《真草千字文》的推崇和研究」(石永峰)など5本の論考、「第三部 内藤湖南の儒教思想と仏教観・神道観」は「内藤湖南と梁啓超―東アジア文明を支えてきたもの」(高木智見)、「内藤湖南の仏教観の形成―大内青巒との出会いと影響」(二ノ宮聡)及び「内藤湖南的神道觀」(呉偉明)など3本の論考により構成され、その多くは内藤文庫所蔵資料を活用し新しい問題意識を示しているものである。 高田時雄氏が「あとがき」に、同書の論題は「思想史上の視點や湖南の中國認識の問題、湖南學術の文化史的意義、さらにその繪畫論や宗教親など非常に多方面に亙っている」、自分も「内藤文庫に保存される多くの一次資料」、「とりわけ湖南に宛てた一萬通に近い書簡からは、數多くの情報を得ることができ、全集に収録された湖南自身の書簡を併せ見ることで、内藤湖南という稀有な人物の實像に聊かなりとも近づき得たような氣がする」と述べた。
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今後の研究の推進方策 |
近代日本の東洋学の代表者の一人として、内藤湖南(1866-1934)は近世中国・日本の学問史、芸術史に関する膨大な研究業績を残しただけでなく、同時代の内外政治についての鋭い観察者でもあった。2024年は湖南歿後九十周年にあたる節目の年であり、この機会を捉えて湖南の知的遺産や影響を振り返ることにより、明治・大正および昭和初期における日本の東洋学の特質を再検討することは有意義な取り組みである。具体的には、東アジア文化交渉学会第16回国際学術大会と東方学会主催の第68回東方学者会議におけるパネルやシンポジウムの開催を検討している。 本科研プロジェクトが最終年度を迎える際、研究水準のより一層の向上を目指すことも重要な課題である。例えば、内藤という人物の性格規定について、北米の内藤研究の第一人者であるジョーシュア・フォーゲル氏が「パブリシスト/ publicist」(政論家あるいは時事評論家)という表現を使ったことがある。パブリシストに関する氏の定義は「その時々の政治の渦中に巻き込まれることなく、公共の事柄について絶えず自分の意見を表明する人を指す」という(井上裕正氏による氏の代表作の邦訳『内藤湖南 ポリティックスとシノロジー』)。国立国会図書館憲政資料室、とりわけ内藤文庫が所蔵する関連書簡や筆談記録によれば、内藤が時々の政治課題と懸案事項について、ただ単に新聞雑誌での意見表明にとどまらず、その解決方策について時の首相や外相、与野党の首領(例えば小村寿太郎、近衛篤麿、犬養毅、原敬、西園寺公望、斎藤実など)に積極的に献策した事例もあったことが分かる。したがって、パプリシストという西洋のコンセプトよりも、東アジアの伝統的な「経世家」という概念を用いて内藤の人物性格を表現すればより一層適切になるだろうと思う。
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