研究課題/領域番号 |
20J01878
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
小野 響 京都大学, 人間・環境学研究科, 特別研究員(PD)
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研究期間 (年度) |
2020-04-24 – 2023-03-31
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キーワード | 中国史 / 魏晋南北朝史 / 君主号 / 天王 |
研究実績の概要 |
本年度は、研究課題「君主号から見た中国魏晋南北朝隋唐時代における多民族社会の変容」の中で取り扱う君主号の中から「天王号」を選び、研究を進展させ、2020年11月に六朝史研究会(於京都大学)で「五胡十六国時代における天王と天子」として報告した。同報告では五胡十六国時代における天王は、「天王≠天子型」と「天王=天子型」の二種類に大別でき、旧来指摘されてきた非漢族という出自故に皇帝即位を躊躇して名乗った天王とは、「天王≠天子型」の天王に限られるものであった。もう一方の「天王=天子型」天王は、天子として君臨する存在であり、天子たる以上そこには非漢族という出自から来る即位への躊躇は想定し得ない事等を明らかにした。同報告をもととした内容を、現在論文化作業中である。 また、冉閔の天王即位を指摘した拙稿「後趙における君主号と国家体制」を含む拙著『後趙史の研究』(汲古書院)を2020年12月に出版した。 日本学術振興会特別研究員PDへの申請から採用に至るまでの期間で、a後漢から魏晋にかけての単于号の動向(二年目の課題と関連)、b東晋における非漢族の動向(一年目の課題と関連)について研究を展開させ、2020年度に公開した。aは「烏桓における単于の導入―三郡烏桓王権の変化と非漢族への単于授与」(『立命館東洋史学』43、2020年)であり、烏桓において単于号とは内在的に求められたものではなく、漢末の軍閥から与えられるものとしてもたらされ、おりしも世襲王権の確立を目指していた烏桓指導部によって利用された事を明らかにした。 bは「陶侃出自考―六朝時代における「渓」再考―」(『立命館文学』669、2020年)であり、五胡十六国諸国と対峙していた東晋における代表的非漢族武将と見なされていた陶侃が、史料の検討の結果非漢族ではなかったという結論を得た。旧来の定説に修正を迫る内容の発見であったため公刊した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
令和2年度の研究目的は、魏晋南北朝時代の各天王を比較検討することによって天王の用法を類型化し、魏晋南北朝における天王の歴史的意義を検討するというものである。 周知のように、令和2年度はCOVID-19の流行と、それにともなう様々なレベルでの移動の制限が発生し、当初予定していた中国における現地調査を果たす事ができなかった。また、一時期は各図書館も利用不能になるといった不便も生じた。以上の2点によって、当初の予定通りの研究を進展させることができなかった。 しかし、国内でできる文献の検討などを通じて、当初予定していたテーマに沿って研究を進展させた。具体的には、『晋書』や『資治通鑑』などの文献史料、及び墓誌から天王自称の事例を収取、検討し学会報告1本と、論文2本・単著1冊の公刊を行うことができた。また、学会報告は既に投稿論文の形にまとめている。これらの成果は、当初の予定以上と言える面もある。 以上の2点を総合するに、現在までの研究進捗状況はおおむね順調に進展していると言えるからである。
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今後の研究の推進方策 |
令和3年度は、単于号の検討を行う。本来の計画では、中国山西省周辺の現地調査を予定しているが、目下の情勢でそれが可能であるかは、なお不透明である。もし現地調査が可能であったならば、単于の官庁である単于台が設置されていたと推定される場所を調査し、当時における単于の動向を、地理的要素も含めて考察する。 現地調査ができなかった場合は、令和2年度と同じく文献史料の丹念な精査を通して、魏晋南北朝時代において単于が如何なる位置づけにあったのかを検討する。 どちらの研究方法をとることになっても、研究目的である匈奴の君主号であった大単于が、どのように中国王朝の中に取り込まれていき、消失していったのかを歴史的に跡付けるということを果たしたい。また考察結果は、論文投稿による成果の公表という形式で公開できるよう注力する。
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