研究課題/領域番号 |
20J01878
|
研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
小野 響 京都大学, 人間・環境学研究科, 特別研究員(PD)
|
研究期間 (年度) |
2020-04-24 – 2023-03-31
|
キーワード | 君主号 / 単于 / 中国史 / アジア史 / 魏晋南北朝史 / 天王 / 天可汗 |
研究実績の概要 |
本年度は、研究課題で取り扱う君主号の中から「単于」を選び、研究を進展させた。それのみならず、去年度に主に遂行した天王に関する研究、及び次年度での研究を予定していた天可汗に関する研究にも、一定の成果を挙げた。 本来の君主号は単于であったのを、「大」単于として五胡十六国時代を切り開いた背景には、劉淵による単于権威低下の克服があった事を明らかにした(六朝史研究会報告「大単于始末記」)。また匈奴南単于は後漢末以来、徐々に夷狄としての実質を失っていき、西晋において儀礼の上で夷狄として遇されるよりも、却って百官と同じ待遇を得るように変化していったことを明らかにした(中国社会科学論壇報告「西晋的単于」)。大単于を君主号として用いた国の一つ南涼に検討を加えるにあたって、その君主氏族である鮮卑禿髪部の動向を整理した。その結果、鮮卑禿髪部の先祖とされていた樹機能が、通説の鮮卑禿髪部ではなく、実は羌であった事が判明した(三国志学会報告「「禿髪樹機能の乱」再考」)。 天王を君主号とした国の一つの北燕がが周辺諸国と如何なる関係にあったのかを分析すると、彼らの自称が燕であるにも拘わらず、南朝の劉宋では黄龍国と呼ばれていた。その背景には、天子と密接な関係を有する天王という語を南朝側が記録し難かったからという事情があった事を明らかにした(六朝学術学会報告「「黄龍国」小考」)。以上に述べてきた大単于と天王に対する筆者の知見を整理した拙稿「「漢」との距離感」を含む『漢とは何か』(永田拓治ほか編、東方書店、2022年)を、共著書として上梓した。 最後に唐太宗の天可汗は従来、北・中央アジアに君臨すると理解されてきたが、突厥との関係における存在であり、斯様な拡大解釈は唐人によって既に行われていた事を明らかにした(六朝史研究会報告「現実と観念の天可汗―唐代における天可汗の拡大解釈―」)。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
今年度もCOVID-19の流行と、それにともなう様々なレベルでの移動の制限が発生し、当初予定していた中国における現地調査を果たす事ができなかった。 しかし、国内でできる文献史料を網羅的に集め、それを丹念に読み込む研究に注力した事によって、本年度の課題である単于についての研究のみならず、前年度に取り組んだ天王、次年度に取り組む予定であった可汗についても、一定の知見を得た。その成果は共著書一冊、論文三編(2022年4月5日現在掲載決定済未刊行二編含む)、学会報告六本(国際学会一つ含む)であり、一定の成果を上げたと思われる。 以上の理由から、本研究はおおむね順調に進展していると言える。
|
今後の研究の推進方策 |
令和四年度は唐皇帝の天可汗に関する検討を行う。既に令和三年度の研究成果として、太宗の天可汗について知見を示しており、それを踏まえながら、天可汗についての検討を展開させる。 唐に先立つ北魏において、皇帝と可汗が併称されていた事は、中国内モンゴル自治区オロチョン自治旗にある北魏代の碑文から知られる。本研究では同地における現地調査を予定しているが、目下、それが実現可能か否かは不透明である。もし現地調査が可能であったならば、碑文の調査結果を踏まえて、唐の天可汗と北魏の可汗の比較検討を行う。 現地調査ができなかった場合は、令和三年度と同じく文献史料の丹念な精査を通して、唐における天可汗の位置付けについて検討する。 どちらの研究方法をとることになっても、唐における天可汗の歴史的位置付けを解明し、その考察結果を、論文による成果の公表という形式で公開できるよう注力する。
|