本研究課題では、化学反応の道筋を決定づける原子に働く力の計測という応用を見据え、物質内原子の運動量分布を観測する新規分光法、原子運動量分光の開発に取り組んできた。前年度までに、実験的に分子内原子運動量分布を求める解析プロトコルの開発と二原子分子に関する量子化学的な原子運動量分布計算法の開発を行い、これらを水素分子に適用することで、分子内原子運動を定量的に観測する分子分光法として原子運動量分光が十分な能力を有することを実証した。本年度は主に、等核二原子分子を越えたより複雑な系への原子運動量分光の適用を試み、時間分解分光として過渡系を含む様々な系に展開していくための基礎を固めた。 本年度ではまず、異核二原子分子である重水素化水素(HD)分子の原子運動量分光研究を行った。ここでは、原子運動量分光が有する元素選択性と、本研究課題で開発した解析プロトコルを組み合わせることで、HD分子内のH原子とD原子それぞれの分子内原子運動量分布の関係を直接検証することを試みた。両者の運動量分布の関係から、束縛状態の系における運動量保存則の成立の明確な証拠を得たとともに、等核および異核の二原子分子に対して原子運動量分光が適用可能であると示せた。これを受けてさらに原子運動量分光の多原子分子への適用も試みた。ここでは、前年度に開発した二原子分子の量子化学的な原子運動量分布計算法をさらに拡張し、振動モードが複数ある多原子分子の計算を可能にした。この理論計算との比較研究によって、原子運動量分光がメタン分子のH原子とC原子の原子運動量分布を正確に計測できることを明らかにし、原子運動量分光が一般の多原子分子にも適用可能な手法であることを実証した。 本研究によって、従前は現象観測に止まっていた原子運動量分光を、質量が異なる原子種ごとにその分子内運動を観測するというまったく新しい分子分光法として確立することに成功した。
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