令和4(2022)年度は、北京大学蔵秦簡牘『公子従軍』を取り上げ、全体を釈読して訳注を提示し、その全容を明らかにした。本篇は、夫である「公子」に対する心情を、妻である「牽」による書簡という形式で述べていく文献であり、牽が抱く愛憎が如実に表現されている。本篇の内容から牽と公子とは平民の夫婦であることが窺えるが、本文には詩の引用が多く、文学性の高い文献となっている。その作者については、女性の手によるものなのか、あるいは秦人の中でも女性の心理を理解し、女性口調で書くことができる男性の文人が書いた文学作品なのかは未詳であるが、少なくとも秦代の女性がどのような視点で男性を思っているのかについて窺い知ることができる重要な文献である。また、本篇で何度も述べられている「不仁」の「仁」については、惻隠の心とする先行研究があるが、「仁」「不仁」の語は儒家の文献のみに見られるわけではなく、『公子従軍』に特定の思想家の影響が強く表れているとは考えがたいため、本篇の「不仁」はただ「思いやりがない」ことを示している可能性がある。今後、正式に全竹簡の写真図版が公開されれば、解釈未詳の箇所や「不仁」の問題などについて再度検討したい。 また、曹方向氏(海南師範大学)の論文2篇を翻訳した。一つは簡牘文字の「各」字に関するものである。戦国文字の「各」に従う文字は、省略されて「夂」となるものや、元々「夂」に従うものが複雑化して「各」となるものがあり、本論文では「各」と関連する字形とを例に、書写の方面のいくつかの問題について検討している。もう一つは安徽大学蔵戦国竹簡(安大簡)『詩経』に関するものであり、『説文解字』が引用する『詩経』と安大簡『詩経』の戦国古文の字形とを比較し、『説文』が引用する『詩経』の古文の問題について検討している。いずれの論文も簡牘資料を活用したものであり、自身の研究にとっても参考になった。
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