本研究の第初年度となる2020年度の研究実績は、主に以下の二つの視点から「テレパシー倫理」にとっての歴史的および理論的な諸前提を解明したことにある。
第一に、ハンナ・アーレントの共通感覚論が根ざしている歴史的判断力のモデル。アーレントが晩年に到達した歴史的判断力のモデルは、カントの『判断力批判』に遡る反省的判断力という共通点において、政治的判断力と同じ構造をもっている。まず両者が異なっているのは、判断の時間的な様相である。政治的判断は、みずからの行動の意味を事前に未来にむけて投げかけるのに対して、歴史的判断は、過ぎ去った出来事の意味を事後に振り返ってもたらすという点である。しかし時間的様相のベクトルは対称的であるものの、両者は、カントが特徴づけていたように、一回的な出来事の意味を普遍性にむけて与える仕方であるという点で、反省的判断力に根ざしているのである(論文「判断──政治的なものと歴史的なものの交叉」)。
第二に、ジャック・デリダの宗教論が現在のコロナ危機においていかなる「信」の経験を示しているかの問い。現在のコロナ危機は「コロナ・ピューリタニズム」(斎藤環の命名による)の様相を呈していることがわかる。いまや人々はピューリタンのような厳格で禁欲的な行動様式を強いられる。これは、晩年のデリダが「世界ラテン化」として分析した世俗化以後の「宗教的なものの回帰」として解釈しなおすことができる。デリダはこれがIT技術の遠隔通信テクノロジーと協働することで増幅するであろうという点も指摘していた。しかしそこからデリダがハイデガーの解釈を通じて示唆していたのは、聖性なしの他者への信を追求する可能性であった。これは本研究のいう「テレパシー倫理学」の基礎を与えうる視点にほかならない(論文「グローバル・パンデミックにおける信と知──デリダの自己免疫論とコロナ・ピューリタニズム」)。
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