最終年度前半は前年度に引き続き、新型コロナ・パンデミックの余波が収まらぬままだったこともあり、ブクチンの自由概念を人新世とゲノム編集などの先端技術の文脈と徳倫理の視点から解釈するという当初の目標は棚上げし、環境徳倫理学の重要文献であるサンドラーのCharacter and Environment: A Virtue-oriented Approachの翻訳に専念した。 本書を翻訳するなかで、環境問題に対する徳倫理学的アプローチが多元性を擁護するものである一方、その多元性が実際の政治的な議論にどのように反映されるべきか、またその影響がどのような副作用をもたらすかという点を検討するに至った。多国籍企業のようなグローバルで強力なアクターに対する批判、あるいは具体的な個人や集団を名指ししない観念論的な議論であれば、徳倫理学の議論を導入することの弊害は少ないが、たとえば地域レベルの汚染問題を議論する場合、徳または悪徳の語彙を用いて議論を行う場合には、関係者や当該地域の共同体における道徳的立場の差異を、断絶や闘争へと向かわせることのないよう細心の注意を払う必要がある。ブクチンのソーシャル・エコロジーの弁証法的自然主義を徳倫理学的に解釈することは、観念論的な試みとしては極めて有意義であるが、環境保護の実践に導入するには同様の問題が生じることを確認した。 なお、訳書の刊行後には複数の研究会で同書の内容をもとにした発表を行ったほか、雑誌『環境倫理』に、徳倫理学を具体的な環境問題の議論に当てはまることが引き起こすことが懸念される対立の激化や連帯の毀損についての原稿を寄せた。 研究機関全体を通じて、ブクチンの思想を現代の文脈で生産的に議論するための土台整備に取り組んだが、ブクチンの自由概念を環境徳の観点から検討する論文は令和5年中に投稿予定である。
|