玄奘が報告した『大唐西域記』の記述を現在のインド現地の状況と考えあわせるために、これまでに代表者はインドの現地調査を行ってきた。その過程において東インドには実際に訪れたことがはっきりした。それに対して中央インド、そして特に西インドに足跡を残したと考えることが難しいこともはっきりした。その成果は、2021年12月に発表した「旅する玄奘の思想的変遷」(佐久間秀範他編『玄奘三蔵 新たなる玄奘像をもとめて』所収)で明らかにした。その後従来の唯識法相教学の常識とされてきた様々な理論を見直す内容を2023年9月に公刊した佐久間秀範著『修行者達の唯識思想』の第七章「瑜伽行唯識学派の諸論師の系譜」で明確にした。 本研究の一連の成果として、西インドのヴァラビーで発見された銅板碑文にSthiramatiという僧の名前があることから、従来の仏教学界でこのSthiramatiが世親の多くの論書に註釈を書いたSthiramatiと同一視されてきたが、これが別人であること、五姓各別思想が玄奘の『仏地経論』に由来することなどを明確にした。特に安難陳護一二三四では陳那が相分・見分・自証分の三分説を唱えたことはインド原典に遡れるが、唯識法相教学の正当説を唱えた護法がこれに証自証分を加えた四分説を唱えたことは玄奘訳『仏地経論』以前には遡れず、さらに護法の後継者と伝わる戒賢造チベット語訳『仏地経論』にも一切述べられていないことに鑑みて、護法から戒賢への師資相承関係からも時系列からも従来の考え方は理に合わないことが明確となった。さらにヴァラビーのSthiramatiから真諦へ、さらに円測へと継承された如来蔵思想的唯識解釈が、ナーランダーの護法-戒賢-玄奘の系統の唯識法相教学と対立するものだという考え方が、特に日本の江戸時代に起因した妄想であることも明らかにした。
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