研究課題/領域番号 |
20K00072
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研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
高橋 沙奈美 九州大学, 人間環境学研究院, 講師 (50724465)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | ウクライナ / 正教会 / 公共宗教 / ロシア世界 / ロシア・ウクライナ戦争 |
研究実績の概要 |
本研究課題は、ウクライナにおける正教会を公共宗教という概念から再検討することを目指したものである。ウクライナでは、ロシア正教会によって自治を認められたウクライナ正教会(Ukrainian Orthodox Church、以下UOCと略)と、2019年にウクライナ政府の支援によって創設されたウクライナの正教会(Orthodox Church of Ukraine、以下OCUと略)という2つの正教会組織が対立している。 2022年2月のロシアによるウクライナ全面侵攻によって、ウクライナ政府はUOCをロシア政府の協力機関とみなし、聖堂の強制力を用いた閉鎖、聖職者やジャーナリストの逮捕といった抑圧的な宗教政策を全国的に展開している。一方、OCUでは、従軍聖職者(チャプレン)の積極的な派遣をはじめとする軍などの公的機関との積極的な連携が観察される。UOCは国内で弾圧を受けているために、公的活動にはかなりの制約を受けている。しかし、国外におけるウクライナ避難民の精神的・物質的支援を通してその公的役割を果たしている。OCUは国外での司牧活動権を持たないために、国外避難民の司牧に関しては、OCUではなくUOCが重要な役割を果たす。 戦争という状況のために、ロシア・ウクライナ両国における現地調査が困難な状況が続いている。本研究では、現地から発信される情報を用いながら、さらに両国出身の居住者を多く抱えるドイツをフィールドとして調査を進めることとした。 近代以降の政教分離の原則が、戦争という非常事態において、いかに機能するのか、また教会組織が果たしうる公的役割とはどのようなものでありうるかを分析している。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
当初の研究計画予定では、ウクライナにおける現地調査を予定していたが、戦争終結の見通しが立たない現状では調査を行うことが不可能である。そこで、ウクライナ語・ロシア語のニュースサイト、SNSを通じたジャーナリストの発信などを主なリソースとして現状分析を行った。さらに、20世紀以降のロシア正教会とウクライナ正教会の関係、ウクライナ亡命教会の歴史について、先行研究の整理を行った。これらは『迷えるウクライナー宗教をめぐるロシアとのもう一つの戦い』(扶桑社新書、2023年)として刊行した。さらに、2本の概説を発表し、4回の学会報告(内国際学会での報告が1回)、9回に及ぶ市民講座を行って、積極的な成果報告を行った。 また、9月及び3月には、ドイツにおけるロシア正教会およびウクライナ正教会の教区教会での調査を行った。ドイツは開戦以来、100万人をこえるウクライナ避難民を受け入れている。同時にドイツは歴史的にロシア語話者が多く居住する国でありながら、地方教会組織を持たない。19世紀以降、ロシア正教会がドイツに教区教会を開設して以来、現在は複数の地方教会組織の教区教会組織が乱立している状態である。ウクライナからの避難民のうち定期的に教会に通う信者は多くはないものの、正教会における婚配式(結婚式)や、子供の誕生に伴う洗礼や避難民の死亡に伴う埋葬をはじめ、正教会の存在を必要不可欠とする避難民は多い。そのため、開戦後UOCは自らの教区教会を国外に積極的に展開している。聖職者らへの聞き取りを中心として、ドイツにおける両教会の公的役割について調査を進めた。
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今後の研究の推進方策 |
ドイツでは、正教会組織がナショナリズムによって大きく分断されている現状を確認できた。そもそも、地方正教会の組織は、世俗の支配領域に従う形で創設される原則(ここではこれを「領域原則」と称する)がある。ロシアではロシア帝国の領域がそのままロシア正教会の管轄領域となったわけだが、ロシア帝国の崩壊、ソ連解体といった国家領域の変化にも関わらず、ロシア正教会はいまだにベラルーシ、ウクライナ、バルト三国、中央アジアといった旧ソ連の国々の領域にも、その管轄権を有している。これは一見領域原則に反した教会管轄であるが、ロシア正教会の典礼では「教会スラヴ語」というロシア語とは異なる言語が用いられ、多民族帝国教会としての性格を失っているわけではない。正教徒の民族が混交している旧ソ連圏において、世俗国家の領域に従った地方教会の創設には、極めて困難な課題がある。 というのも、例えばウクライナの場合、ロシアから独立した地方教会の創設を要求している。その要求自体は領域原則に則ったものと評価されるべきだが、実際にはウクライナ語による典礼をはじめとするウクライナ・ナショナリズムとの結びつきが濃厚という問題がある。典礼語や教会の建築様式、イコンの画法などにおいてウクライナの独自性を主張するとき、教会組織の原則は民族主義に大きく傾くのである(これを「民族原則」とする)。戦争という非常事態下において、ウクライナ正教会が独立を認められる場合、多様な民族性をバックグラウンドにした正教会ではなく、ナショナリズムを標榜する正教会組織となり、それが民族間対立をさらにあおるものとなる可能性が高いと考えられる。 今後の本研究においては、UOCとOCUそれぞれの公的活動に着目しながら、民族原則が及ぼす地方教会組織の変容について、明らかにしていく予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
当初の予定していたウクライナの現地調査を行うことができなかったため、調査の予定を大幅に変更する必要が生じた。 次年度以降は、引き続き、ドイツにおけるロシアおよびウクライナの教区教会の研究を継続するほか、ドイツ在住の研究者を招聘して研究会を開催することを予定している。さらに、国際学会での報告を予定している。
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