14世紀末~15世紀の朝鮮における儒教式の葬儀の受容のあり方を検討するため、ソウル・京畿道地域における被葬者の死亡年・埋葬年が明確な211基の士大夫墓を調査した。墓の墳丘は15世紀半ばを境に方形から円形へと変化し、石造物が登場した。儒葬の方法を定めた『朱子家礼』との比較から見ると、遺骸を収める空間の周囲に石灰を充填する例や、墓碑に見られる葬儀の期間から、儒葬が部分的に実践されていたことが分かった。 一方で、文献史料には士大夫層の儒葬に関する言及がほとんどなく、議論の対象にはなっていなかったことを示唆する。士大夫層は墓を重視し、個別的かつ可能な範囲で、儒葬を実践していたものと考えられる。
|