本研究は自生的、土着的近代思想として韓国の開闢を唱える諸宗教を比較思想史的視座より世界史的意義を明らかにしようとするもので、東学(1860年創始、1905年天道教と改称)を中心とした開闢諸思想・宗教がその検討対象であった。東学農民戦争、民衆運動の視点でのみ研究がされてきた東学、天道教を西洋的近代化、西洋的近代思想とは異なる近代化運動、近代思想として評価することできるようになった結果、西洋的近代を志向する実学思想から開化思想への流れとは異なる韓国近代思想史研究を提示できるようになった。 東学は価値の中心を韓国の「民衆」に移行させ、「人格神」観念を有していた。人間がことばで対話して通じるためには人格が前提としてあるが、国家、政治権力の力が強い東アジアでは稀な国家権力から自立した人格、人格神観念を有し、民衆一人一人の中にこの人格神観念を内在化させた。この人格神観念が現代韓国人でしばしば行われる「良心宣言」などへ影響を与えていることを明らかにし、この研究の現代的意義を確認した。政治と宗教は配偶者の関係にあるとし、特殊西欧的、歴史的性格を再検討できる視座を提供できた。東学は全ての宗教思想は同じ窮極的価値を有するとした。これにより他宗教思想に寛容な姿勢をもたらし、諸宗教・思想間の争い、戦争に対して否定的態度をとり、諸宗教・思想の共存が必要な現代において取り上げるに値する点も確認した。 今後日本での東学研究のために未だ実現していない東学経典の精密な日本語訳を作成することが本研究のひとつの柱であった。開祖崔済愚の現存する全著作、漢文の『東経大全』と古典ハングルの歌詞である『龍潭遺詞』を丁寧な注釈を付けつつ日本語全訳を刊行した。二代目教祖の崔時亨の全訳も目指し試訳を作成したが、不十分な点があり、今少し時間をかけて出版する準備をととのえつつある。
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