今年度はいずれも対面で、韓国から研究者を招聘しての国内研究会、韓国での国際研究会を開催することが出来た。研究担当者は1月13日に本研究のまとめとして「「近世帝国」論と東アジアの儒教」と題する報告を行ったが、概略は以下の通り。徳川思想史をグローバルに開いていくためには、グローバルヒストリー、「近世帝国」論の視点から研究を行うことが重要である。すなわち、16世紀以降の東アジア儒教・朱子学思想圏では、理念的な「帝国」の求心性を共有しつつも、域内ではその求心力の普遍性を争う在地性が登場し、「華夷観の多元化」が進行していくが、それは「近世帝国」のイデオロギーとしての明代儒教、朝鮮儒教が構造的・同心円的に東アジアに伝搬していく過程として理解することができる。この時期、朝鮮王朝では「近世帝国」のイデオロギーが成熟してきたことに伴い李退渓らによって「理気」「四端七情」などをめぐる議論が活発化していたが、そこから遅れて成立した徳川王朝では、まずは朱子学入門書や大全本が朝鮮本として渡来し、藤原惺窩らに影響を与えることになるが、やがて50年ほどをへて朱子原典主義を掲げた山崎闇斎学派も登場し、李退渓などの影響も受けての「理気」「敬」などの形而上学的議論も行われていく。これらは「近世帝国」思想圏の「東辺」への朱子学の同心円的な浸透過程として捉えられる。また、徳川日本が「遅れて」明代儒教・朱子学を導入したということは、「早く」明代儒教・朱子学を導入した朝鮮儒教との間に微妙な相違点を刻印することになる。すなわち、徳川儒教が接した明代儒教とは、性理学的儒教から復古と考証へと転回しつつあった明代後期の儒教・朱子学であった(それが性理学的な性格の朝鮮儒教とは異なる古学派の登場を準備する)。このような思想構造・古典籍ネットワークを理解することで、東アジア思想圏内の徳川思想の位相が浮かび上がってくることになる。
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