最終年度にはベルリンの資料調査を実施し、歴史的な背景あるいは新たな視点を得ることができた。 成果としては、ヴァイマル期ドイツの総合舞台芸術の試みには二つの側面があるとしていた点の足がかりを掴むことができた。つまり第1には、1930年代に国外へ亡命した芸術家らのユニバーサルな価値観の浸透。第2には。ドイツ国内におけるナショナリズムを称揚する統合的な祝祭との結びつき、があげられるが、たとえばロシアの1920年代の群衆スペクタクルとの接続。あるいは平和主義的なメッセージを持つ演技の浸透である。 具体的には、1910年マックス・ラインハルト演出『オイディプス王』のサーカス劇場を活用した円形大劇場演出の実際について、身体表現やパントマイムが果たした役割、照明や音楽によって形成された場面が、観客といかなる相互作用を意図し、また効果を発揮したのかを再検証した。そして同作品がヨーロッパ各地を巡演する中で、現地のスタッフとの協働、あるいは群衆演出には現地のエキストラを多数起用したことで、上演および参加者の経験を通じて流布された舞台表現や演出の影響関係についても考察を深めることができた。 また、1934年にラインハルトがヨーロッパを後にする最後の野外上演『ヴェニスの商人』におけるイタリア・ヴェニスでの活動にも注目した。後のヴェネチア映画祭に繋がる演劇祭でイタリアの舞台人や俳優と作り上げた演出である。シャイロックを演じたイタリア人俳優メーモ・ベナッシは、言葉のない場面におけるパントマイムの効果、そこで提示された人物像を、彼自身の身体性と深く結びつけ、後の映画の演技にも深く影響を与えたという。 こうして野外劇・群衆劇の実践が、そこに関わった裏方スタッフ(群衆演出には音楽、指揮者に加え、振付には複数の人々が指導にあたった)、あるいは俳優により、各地の舞台製作に結びついた経緯なども明らかになった。
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