研究課題/領域番号 |
20K00186
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研究機関 | 北海道大学 |
研究代表者 |
谷古宇 尚 北海道大学, 文学研究院, 教授 (60322872)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | フランシスコ会 / 殉教 / パリ外国宣教会 / 再布教 |
研究実績の概要 |
本研究は、①モンゴル時代(13~14世紀)の教皇庁・フランシスコ会などによるアジア宣教について、②当時の宣教地アジア(ローマ教会に属さないキリスト教地域、あるいはインドや中国)の宗教的状況について、また ③大航海時代から近代にいたる時代(16~19世紀)の宣教地(日本、中南米など)の美術作例を調査するものであるが、実施予定であった国外での現地調査を行うことができなかったため、本来はモンゴル時代との比較のために考察する予定であった③について、とくに調査を進めた。 16世紀から17世紀にかけての日本のキリシタン時代は、1597年の26聖人の殉教と1622年の元和の大殉教をクライマックスとして終焉を迎える。約2世紀半を経て、この2つの場面はヨーロッパで絵画化され、明治維新前後の日本再布教期に中心的な役割を果たしたパリ外国宣教会のプティジャン司教によって長崎にもたらされた。現在、大浦天主堂と隣接のキリシタン博物館に置かれている2枚の大画面の油絵である。これらはイタリアの女性画家の作とされてきたが、いずれもフランスのやはり女性画家であるセシル・トレルによる1869年と1870年の作品と確定することができた。 トレルは忘れられた画家であるが、トゥーロンやヴェルサイユに宗教画を残しており、当時のピオ9世と関連するエピソードを描いた作品も見つかった。近年、教皇国家がイタリアに併合される危機的な時代に、教会の普遍的であるべき権威を、美術作品を利用して世界に広めようとしていた教皇庁の戦略が明らかにされつつある。長崎の作例はそうした文脈の中で考察されるべきであり、また浦上四番崩れがヨーロッパの視点から迫害・殉教の定型的な型にはめられようとした証拠とも考えられ、宣教について異なる態度を示したと考えられるモンゴル時代と対比することができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
新型コロナウイルスのため予定していたジョージア、アルメニア、イタリアでの調査を行うことができなかったため、研究計画を大きく変更せざるを得なかった。しかしながら日本国内で実施可能なことに目を向けたことにより、本研究について新たなパースペクティヴを得ることができたといってよい。19世紀フランスの画家の調査では、デジタル化されたアーカイヴの有用性を理解することができた。しかしながらフランスは例外的であり、他地域での調査方法を再検討すべき段階にある。
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今後の研究の推進方策 |
国外での調査の目処が立たない中、ゴアやクスコといった重要な調査地に赴くことができないことも想定し、より既出のテキストや図像に基づいた考察を進める予定である。日本のキリシタン時代や再布教期の検討は続けるが、モンゴル時代とはかなり離れてしまうため、アッシジの聖フランチェスコと大航海時代の橋渡しをしたはずの、アンジェロ・クラレーノ、シエナのベルナルディーノ、ジョヴァンニ・ダ・カペストラーノらについて着目し、フランシスコ会の終末論と宣教・殉教の関係について、またその20世紀に及ぶまでの射程について考察する予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
新型コロナウイルスの影響により予定していた国外出張を実施できなかったため、旅費の支出がなかった。出国が可能になり次第、研究計画のとおり国外での調査を行うことにより当該助成金を使用する。
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