本研究は、テクストに物質的形態を与え、書物を構成する諸要素が、読者にどのようにジャンルを意識させ、読み方を規定していくのかを、明治10年代以降、日本で盛んに出版された「未来記」という書物群を経年的に観察することによって析出しようとするものである。 (1)近代における「未来記」は科学技術の進歩による社会変容というテーマを扱った西洋のテクスト翻訳から始まったが、国会開設や内地雑居という近未来の国内問題を題材に扱うことで、ジャンルとして一般に認知された。翻訳物は江戸読本の文体が採用されたが、国内問題を扱うに未来記はそれだけでなく、江戸後期以来の滑稽本など様々な文体や書記様式を織り交ぜながら展開された。翻訳物は和装も洋装の比較的豪華な装丁でゆったりした組版のものが出版されたが、内地雑居や国会開設を扱った未来記はボール表紙本が一般になり、さらに廉価なパンフレットのような形態のものも刊行された。こうした動向については昨年度までに既に大方を明らかにしており、本年度はさらにそれを調査によってより確実な結論へと導いた。その後の、明治30年代以降の戦争未来記も含めて、近代の「未来記」の類型と変容に関する論文を現在、執筆中である。 (2)内地雑居を扱う未来記を中心に分析を行い、そこで主要なトピックとなった言語問題(日本語と外国語との関係)について考察した論文を公表した。内地雑居にともない日本における公用語の未来がどのように編制されるのか、外国人とのコミュニケーションがどのように行われ、それが未来記テクストにどのように表現されているのかについて、『内地雑居未来の夢』『社会小説日本之未来』『東京未来繁昌記』を例にそれぞれの特徴を析出した。そして、未来記の内地雑居の世界は現在を観察し、その延長線上に未来を見たり、未来に現在を投影したり、現在を反転させたりして想像されたものであることを明らかにした。
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