三木露風は「忘れられた詩人」「活躍は大正15年までで、この年をもって第一線を退いた」とされ、その後の作品は注目されずに近代文学史から忘れ去れられてきた。本研究は、露風の大正15年以降の未公開作品と資料を調査・整理・公開という基礎的研究により検証し露風を再評価することが目的である。 露風の大正15年以降の多くの作品が掲載されたまま埋もれていた地方紙『山崎新聞』(日本で唯一現存、全発行号の9割揃う)を発掘した。長い間散逸していたため兵庫県宍粟市教育委員会社会教育文化財課と協力して整理・公開してきた。また関連する資料を所蔵している兵庫県たつの市の公益財団法人童謡の里龍野文化振興財団「霞城館」と連携して蒐集・整理した。 未公開の作品や貴重な資料であることから全『山崎新聞』(1915年8月31日~1939年5月25日)をデジタル化して保存するとともに、露風研究のため作品のすべてを抜き出してデジタル化して保存した。また露風の自筆創作ノート、草稿、書簡なども撮影し保存した。 その過程において発見した未公開作品ついて国際学会誌やマスコミに発表・公開した。例えば露風と宮沢賢治の交流を初めて示す新資料「賢治から『春と修羅』を献本された露風のお礼の手紙(控え)」の発見は、トップニュースとして『神戸新聞』で報じられ、「NHK神戸放送」、『読売新聞』(東京・大阪)、『岩手日報』でも報道・公開された。また講演では、残されたままの未公開作品と資料の発掘と基礎的研究の必要性を説いた。 最終年度は、新発見した資料を基に「三木露風と石川啄木」(学会口頭発表8月)、「中日新聞」(2024年1月13日掲載)、「トラピスト時代の三木露風」(シンポジウム講演11月)と題して報告した。また「「三木露風と『山崎新聞』作品目録」と「三木露風研究文献目録」(2003年以降の最新版)を作成しホームページで公開した。
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