本研究の目的は、江戸時代後期の会津俳人に宛てた全国の俳人からの来翰を解読することにより、近世俳諧文化を実証的に解明することである。 3年計画の最終年にあたる令和4年度は、論文「関本如髪集成来翰集(第四巻 巨石宛)」(『人間科学』第40巻第1号)により、喜多方の関本巨石・如髪父子宛の書簡を中心に収録された四巻合計248点の書簡、句稿資料についてすべての調査結果を集大成することができた。これらの書簡の執筆年代特定を概ね特定できたのは、本研究における中核資料となった新資料「如髪集成染筆帖」の存在が大きかった。本資料により、如髪の関西旅行の年代、行程が判明した。これにより、父巨石の代から同様な行程を旅していたことが推察できる。巨石・如髪父子が会津喜多方という交通不便な地に居住しながら、東北地方から関東、関西、四国、九州にいたるまで交流を広めることができたのは、商用の東海道ルートを活用して関西にたびたび訪れていたからであったことが明らかになった。こうした交流は近世中期から後期には全国各地で行われており、本研究によってその一端を実証することができた。 次年度は引き続き、如髪とともに文化文政期における会津俳壇の双璧として知られた会津高田の田中月歩来翰集を調査していく予定である。田中月歩来翰集は本研究において調査した関本巨石・如髪父子宛の来翰集のように巻子にまとめられた資料ではないので、調査は一層困難であるが、本研究の成果が早速活用される見通しである。
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