本研究は、中国現代文学において通俗小説の女性主人公がほぼ必ず「美女」であり、更にその美女が決まって悲劇的運命を担わされている点に着目し、1940年代の「現代通俗作家」の二大作家である徐クと無名氏の作品分析を通して、美女表象、民衆と戦争・政治の問題を分析・考察するものである。 本年度は本研究の最終年度として、主に1930年代から40年代にかけて上海で活躍した通俗小説家予且の長篇小説『浅水姑娘(浅水お嬢さん)』(1942)を研究対象とし、論文「不幸を嘆く女たち――予且「浅水姑娘」試論」(『日本女子大学文学部紀要』73号)を執筆・発表した。予且は上海の男女の結婚や恋愛の矛盾、市民生活に潜む新旧の価値観の衝突などを鋭く描き出した作家として評価が高い。『浅水姑娘』はヒロイン格たる浅水の生き方を物語の一応の主軸とし、彼女の母親や女学校の同級生たちも細かく丁寧に描き、社会における女性の生きづらさに焦点を絞っている。教育を受けても社会でその能力を発揮できない、結婚しても夫や婚家との関係がうまくいかない、仕事と家庭の双方に居場所を見出せないといった、まるで現代を生きる女性たちのつぶやきのような声が、1940年代中国の大都市を舞台にした本作からは聞こえるのである。本作には戦争が直接的には描き込まれていないが、1940年代中国の多くの通俗小説において女性が悲劇的な運命を与えられるのが一般的であった中で、『浅水姑娘』に登場する女性たちも、広い意味ではそうした悲劇の女性たちの姉妹と言えよう。 研究期間の過程においては、文学作品には弱者がより弱者の立場に追いやられるという構図が見られることが明らかになった。男性たちの大義名分の蔭で、命を落としたり、正気を失ってしまう美女たちの系譜は、中国文学の伝統の中にも見出せると考える。今後は視点を中国文学全体に広げ、美女たちの悲劇的運命について考えていきたい。
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